文月
icon 2013.4.6

文月悠光インタビュー◆4/6~4/19「あるいは佐々木ユキ」上映の前に

遮断と開放

 

――映画冒頭で「今の子は自分を閉じ込めてしまっている。外を見ないで、何かで時間を埋めようとしている。もっと人を「観察」するといい」と言っていますね。文月さん自身はふだん人を観察したりするのでしょうか?

 

文月:観察はする方かな。忙しい日常の中で移動していて、そこにいる人たちとか、窓の外で流れている景色も全部自分とは関係ないことだと考えるのもわかります。でも移動も生活の一部だし、人生の一部じゃないのって思います。

 

――佐々木ユキは、モノレールに乗って郊外の街をずっと行き来していますよね? あの焦点の定まらない感じと言うか、世界を何となく俯瞰で眺めている感覚がある。文月さんも上京してきて同じような感覚になったことはありますか?

 

文月:東京ではなかなか色々なことが繋がっていかないなと感じます。東京にはすごく憧れが強かったので、上京してしばらくは色々なイベントに出かけていたんですが、点と点がバラバラのまま結ばれていかない。わくわくした気持ちは持続しているけれど、じゃあ今自分が何を見るべきなのかは誰も教えてくれない。結局誰もが支持しているものを、自分もじゃあみんなが支持しているから見に行こうとなってしまうので、特別な感情や関係が生まれにくいのかな。

 札幌では、特定のギャラリーとかお店に出入りがあったので、そこによく来る人たちと話したりとか、関わったりできました。サロンみたいに、詩人以外の人、絵を描いたりとか、写真を撮ったりとか、書をやっている人が緩く繋がっていく感じがありました。

 

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日常からの跳躍−『適切な世界と適切ならざる私』

 

――文月さんの詩集『適切な世界の適切ならざる私』を読んでいると、とても身近なものの観察から、詩を書くことそのものを巡る思索へと飛躍する部分が非常に優れていると感じます。

 

文月:中高生時代は、世界が学校と家しかない。何を書こうと思ったとき、じゃあ周りにあるものとの関係を書こうと思いました。そこから見えてくる想像の世界を書いてみよう。日常の一部を書くことによって自分の存在と詩が結びつくし、嘘をついていないという感覚がありました。全部が全部フィクションだと、書いている私自身も不安になる。一つでもこれは嘘じゃないというものを起点にして、そこから作品として演出するという感覚でした。

 

――現在、詩を書く上で、日常と非日常の区別のようなものを感じることはありますか?

 

文月:今は日常と非日常の区切りが無くなりました。以前は物語で詩を作っていたんですが、今は一行か二行くらいの言葉をキーにして、言葉やそこから引き起こされる感情を書くようになってきました。だから日常と詩が分かれていたのが、一体化してきた。その分、詩の世界が深まってきたかもしれない。

 

詩「横断歩道」について

 

――「横断歩道」の中で印象的なのは、「通学路」や「ランドセル」といった、とても日常的な言葉が使われていると同時に、()の部分はとくにそうですが、詩を書くことのアレゴリーになっている。そこが非常に優れていると思います。日常の何気ない登校風景と、自分が詩を書くということへの悲愴な決意のようなものが混ざっていると思うのです。

 

文月:私の性格的な問題もあったと思います。「信号」というモチーフに表れているように、社会で生きる以上、人は「これは正しい、これは間違っている」という規則を与えられる。けれど、規則を忠実に守ろうとすると現実とずれが生じてしまう。その矛盾から、規則に対する反感や不信感を持つようになったと思います。

 例えば、信号は赤のときはわたっちゃいけませんと教わるけれど、実際は車が来なければ赤でもわたる人がいる。子ども心に大人は矛盾していると思っていた。そこに起因しているのかもしれません。当時は学校の校則とか、色々縛るものがあった。ここでは「信号」が一つの象徴的なモチーフになっていて、信号の色や決まりにとらわれなくていいんじゃないのという一種の提示になっています。

 

――この詩の中には「詩人は詩を生きる信号とした」という表現もあります。言葉で創造するのだが、同時に言葉に支配されてもいる。

 

文月:詩って本当にすごく矛盾していて、だからこそ難しいと思われたりする。言葉は一つ一つ意味を持っているのに、詩で表現したいことは辞書の中に載っている概念ではないから。誰もが日常の中で感じているちょっとしたもやもやをイメージや想像の世界で表現したいなと思って詩を書いています。

 

――なぜ映画の中でこの詩が使われることになったのだと思いますか?

 

文月:映画の中で「保険おりるな。/だから/おりてこいよ、ことば。」という最後の二行が繰り返されます。それは、こういう道を進めば安心だっていう保証を得るよりも自分は詩を書きたいんだという宣言ですよね。だからもしかしたら福間監督自身も詩を書かれる方として、なにかそこに惹かれたり、共感してくださったのかなと思います。