icon 2013.4.6

木村文洋×山戸結希対談◆4/20「愛のゆくえ(仮)×あの娘が海辺で踊ってる(完全版)」上映の前に

――山戸監督は、同時代の自主映画はご覧になるんですか?

 

山戸:そうですね、初めて見た自主映画が真利子哲也監督の映画でした。

 

――お二人は、今回のようなカップリング上映やイベント上映、ひいては「映画を上映すること」「していくこと」に関して、どういった考えをお持ちなんでしょうか?ファーストランで東京数館で公開して告知があったりしますけど、その後、「見て終わり」だともったいない気がしてしまいます。

 

木村:映画を制作するとすぐDVDになったりする。場合によっては公開もされなかったりする。それは全然悪いことじゃないし、何より広がることと思います。小さいお子さんがいる地元の友達とか、なかなか劇場に来ることは難しいですからね。だけど―高橋さん達の世代から教えて貰ったことなんですけど、上映することも“映画をする”ことの一環であるんじゃないか、と。それは映画館という場所を時によっては離れてもよくて、お客さんをどう今回は呼ぶかとか、どれだけ面白がって貰うかということ、それでまた “映画が完成する”ことは変わっていくし、新しく育っていく。二年目、三年目と時間が経ても…。 山戸さんは、去年のポレポレ東中野での公開の際―演劇をやったり、映画館じたいを普段とは別の場所にしてしまった。上映自体を祝祭的にして、2012年のインディペンデント映画の中でも最もお客さんを入れて、何より楽しんでもらったんじゃないかな。そういうところは何よりうちのメンバーも姿勢として、リスペクトしていると思います。

 

――山戸さんは、どういった思いから上映に演劇を取り入れられているのでしょうか?

 

山戸:はい、初上映のポレポレ時の3本目は、「さよならあの娘」という人力3Dだったのですが、劇場での時間をできるだけぎゅうぎゅうな密度の濃いものにして、やっぱりお客さんに物語を持ち帰って欲しかったんです。自主映画であること、学生映画であること、処女作であること、それらの欠点としての側面が、上映前大きな不安要素でした。物語を持って帰ってもらうために、それらの要素を反転させることは必須でした。その後再上映のオーディトリウム渋谷では、撮り下ろし映像と新作短編と毎日トークショーをしていたら、結局上映時間が二時間かかってしまいました…。50分の映画のレイトショーなのに…。

 

――逆にイベント性というか、映画+αが大事になってきている印象を持ちます。副次的なもので祝祭感を持たせる、といったような。総じて、映画そのものを上映するっていうのが、凄く難しくなってきているのかな、と。

 

木村:そうですね。つくったところで、当然どうにかなるわけじゃないというか(笑)。映画祭で上映して頂くことも、宣伝材料のひとつとして考えなければいけないでしょうね。まあどこにゴールを定めるか、ということかもしれませんけれど…。だから、上映できること自体が、何より凄く幸せなことだと思います。そのなかで―どれだけ長く、人の記憶に残るような上映にできるか…。上映することを見越したうえで、どういう映画にするか、ということでもあると思うんですけど。

 

――「作りたいものを作る」っていうパッションが、直接的に反映されるわけではなくて?

 

木村:作りたいものを作る、ということは前提なんですけど。ただ上映する覚悟がないものを撮ってはいけない、そういう感覚なのかな…今は。できれば5年、10年上映していきたいだけのものを今は撮りたいと思っています。