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浜田真理子インタビュー「全部音楽とも言えるし、全部日常とも言えるし」◆『But Beautiful』発売によせて

「ラブソングというよりは、もうちょっと大きいことを歌ってますね」

――新作の歌詞についてお伺いしたいんですが、「はためいて」「森へ行きましょう」「遠い場所から」は、ラブソングというよりもっと大きなことを歌われてると思うんです。東日本大震災にも目配せされているのかなと。

 

浜田:そうそう。「はためいて」はね、福島でのライブのために書いていった曲なの。福島に友達がたくさんいて、「スクールMARIKO」(3月から9月までの半年間にわたり、「プロジェクトFIKUSHIMA!」に関係するゲストを浜田さんの地元・島根に呼び、さまざまな視点からともに考え、知り、学ぶイベント)をはじめることになったくらい、私のなかでもインパクトがあることで。「遠い場所から」や「はためいて」は、ほんとに311以降の…ラブソングというよりは、もうちょっと大きいことを歌ってますね。

 

――曲作りは作詞と作曲、どちらが先なんですか。

 

浜田:歌詞が先。いい言葉に出会った、いい表現を見たときはもちろん、すごく自分の心が動かされるときってあるじゃない。震災、失恋、人生のかなしい出来事…そういうときに浮かんだことを、なんの発酵もさせないままその場ですぐ書いたら、絶対くさいのね。その感情が100年耐えられるかっていうと、ちょっと寝かせないとわからないので、これはすごいなってことをずっと転がしてるというか。この言葉すばらしいな、はじめて知ったですぐ使ったら、全然私の言葉じゃないので。だから、はっとする表現や新しい言葉は覚えておいて、ネタ帳に書きとめとく。そして自分のものになるまで醸造する。私は「付箋貼っとく」って言うんだけど。

 

――今回もその「付箋」はおおいに役立ちましたか。

 

浜田:1月に曲づくりで悩んでたときに、昔に投げっぱなしにしてることばがいっぱいあって、こんなこと考えてたんだって改めて思い出して。それで別れたシーンとその後のシーンを別々に書いたとして、最初は2曲のモチーフだったかもしれないものを、1曲の物語にしてみようとか。その曲で達成しなければならないタスクを設定して…たとえば「うたかた」所収の「アンダンテ」は、出だしのことばがすべて「あ」なの。あとフレーズを全部7文字にしようとか、語尾を全部「ねば」にするとかね。それは韻を踏むことにもなるので、歌ったときに歌いやすいしメロディーもつきやすいの。

 

――気づくひとは気づく(笑)

 

浜田:自分だけが楽しい作業ね。「ミシン」はほんとに物語にしようと思って、結局サスペンス劇場になっちゃった(笑)スタンダードジャズナンバーを長いこと歌ってたから、新鮮でしたね。スタンダードジャズナンバーってミュージカルにおけるひとつのセリフが歌になってる感じなので、状況説明が全然ないのね。状況説明はバースで。オペラもセリフの部分と、感情だけを歌ってる部分があるじゃない。「ミシン」では、それらをひっくるめてやってみようって。「骨董屋」もそうなんだよね。急に2番から歌っても意味がわからない歌。あと「遠い場所から」は去年の渋谷WWWで初お披露目したんだけど、メロディーを決めずに歌い始めて、歌っているうちにメロディーとリズムがだんだんかたまってきて、いまのかたちになりました。

 

――ライブでやりながら、だんだん歌っているうちに…

 

浜田:だからバージョン違い、いっぱいあるよ。ちなみに「ためいき小唄」は和風の歌詞なんだけど、コード進行はジャズでよく使うツーファイブ。そうやって一見合わないようなものを一緒にするっていうのが好き。

 

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――一曲一曲、浜田さんの音楽遍歴がミックスされてますよね。

 

浜田:「花散らしの雨」なんか、ほんとに私のカタログですよね。去年、渋谷CLUB QUATTROでのライブのテーマは「シャンソン」にしたんですよ。シャンソンって語ってるけどセリフじゃない、それがどこからセリフになるのかなと思って。逆にいえばセリフからメロディーがついて、だんだん語りになって歌になっていくグラデーションを、「花散らしの雨」でやってみようと思ったの。「メロディーのったら歌なの?」って疑問もあったし。だからコードと歌詞だけ決まってて、メロディーは決まってない。どの部分で歌うか、どの部分でセリフにするかはそのときどきで。

 

――「歌」とはなにかってところですね。

 

浜田:シャンソンって「歌」って意味だからね。「花散らしの雨」は「とつぜんの」って歌い出しを3回やってるんだけど、コードを変えて繰り返してると、主人公の年齢や顔が違って見えてくるはず。歌ってることずっと同じなのに、聴いてる人によって主人公が年増になったりヤングになったりする。その人が投影されるということは、100人聴いてたら100通りのイメージがあるわけで、それがおもしろい。

 

――「イメージの余白」をつくれるのも、浜田さんの多様な音楽体験があってこそでしょうね。

 

浜田:ひとの曲もいっぱい歌ってきたからね。どういう風につくるのかってすごい勉強になるんだよね。小説書くときに、ひとのうつすじゃない。好きな作家の文体が自分のなかに入って、その文体になるというか。歌もそう。家にジュークボックスがあって小学生のときから誰よりも聴いてるし、古今東西いろんな歌を歌ってきたし、私のなかにネタとして入ってるんだろうね。あとはなにが出るかお楽しみ(笑)

 

――個人的に鳥取県民謡の「貝殻節」をあのように歌われるのが衝撃的でした。

 

浜田:そうね、民謡+ピアノっていう発想がないはず。西洋音楽ってちゃんと理論があって、和声があって、音階があって。でも日本音階って音階はあるけど和声って考え方はないの。民謡ってコードがないわけ。ということは、この音とこの音は合うって考え方もなければ、合わないって考え方もない。たとえば、童謡の「ずいずいずっころばし」って和声がないから、どこからでも輪唱できるの。でもスイス民謡の「静かな湖畔」を輪唱する場合、和声がぶつかるから、コードが一緒な場所からしか歌い出せない。私の「貝殻節」は、日本音階の曲に西洋音楽の調のピアノを合わせてるんだけど、それは和声をつけることになるので、すごく大変なの(笑)

 

――なるほど。

 

浜田:私は楽器はピアノしかできないんだけど、一応コードは決めて、和声はあるようなないようなで弾いてるよ。「ちょっとひとこと」なんかまさにそう。水谷(浩章)さんのコントラバスで流れはつくってるけど、外山(明)さんのドラムがいて、大友さんの吠えるギターがあって、近藤(達郎)さんのハーモニカが静かに入る。民謡みたいにしたくて、ヨナ抜き音階(ファとシを抜いたド・レ・ミ・ソ・ラ・ドの五音音階)にしたし。ライブでは、そこにがっつりコードを入れてブルースにしてるの。日本音階と琉球音階とブルースの音階ってちょっと似てるからね。