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浜田真理子インタビュー「全部音楽とも言えるし、全部日常とも言えるし」◆『But Beautiful』発売によせて

「10年後もこの歌を自分が気恥しくなく歌えるかって作り方をしてる」

――理論は独学で?

 

浜田:私、大学は教育学部の幼稚園課程だったんだけど、わらべうたを研究している先生に習ったの。日本の伝統音楽には調性がないんですよって言われて、ピアノ弾けてコードも知ってる自分としては、日本すげえなって思って。調性がないなんて発想、西洋音楽にはないでしょ。

 

――確かに目から鱗。どうして日本の伝統音楽には調性がなかったのかな。

 

浜田:ピアノがなかったからじゃない?民謡はさらに拍子もないわけ。なんとか追分ってあるでしょ、好きなだけのばしていいじゃん。四拍子だからもう次いかないとではない。音程もなければ拍子もないなんて、すごく自由だなと思って。「遠い場所から」はそんな感じにしたくて、個人的には追分なんだよ(笑)

 

――知れば知るほど奥深いですね。

 

浜田:民謡が労働歌としてあって、歌い継がれて何百年も残ってるってことは、一番強いものが残ってるってことだから。ブルースもそうだけど、ものすごい強い歌だと思うよ。「民謡なんて」って日本人はおろそかにしがちだけど、すごく大事なものだと思う。私も父も民謡好きだし、浪曲も講談も落語も聞きますね。

 

――まさに西洋(ピアノ)と東洋(声)のハイブリッド音楽というわけですね。

 

浜田:そんなかっこいいものじゃないけど(笑)どっちもいいとこどりしてるっていうか、こんなすばらしいもの使わない手はないんだよね。ひとりでできる強みってそこなの。今日は気分もいいし声も出るから、いつもより長く伸ばしております、調性ないですし、みたいな。ピアノってオーケストラの一番低音から高音まで全部のパートが弾けちゃう、全能の楽器なんだよね。だから他の楽器はいらないとも言えるし、バンドに入ると邪魔になるとも言える。できるだけひととやるときは音を抜いて、全能すぎないように、歌いあげすぎないように、寸止めでやってるんだけどね。とにかく、インプットがなければアウトプットできない。つくるときは理論的じゃなく、民謡のようなものをつくる、ジャズっぽくしようかなってくらい。カントリーソングっぽくしたかったら、朝荷物まとめて家を出る、みたいなのが好きですね。定型的なことって本質つかんでないとできないことだし。

 

――本質と本質をかけあわせてオリジナルなものをつくっていく。今後、音楽的な試みでやってみたいことってありますか。

 

浜田:酒場と波止場と娼婦のような、一定のイメージってあるじゃない。それを使いつつ、これにこれは合わないでしょっていう、反対のものが入ってるとおもしろいと思いますね。昔から、全員が同じ方向向いてるのが苦手なの。クラス全員一致だと、意地でも反対したくなる。ちょっと違うところから見てるひとや、一歩引いてるひとの意見を聞くと新たな展開があると思うし…たとえばNPOに集まってくるひともばらばらなんだけど、みんなミュージシャンでやるとミュージシャンっぽい考え方になっちゃう。役所のひとや主婦やおじさんや、お互いを否定せずに話を聞いてみると、考え方が広がりますよね。

 

――浜田さんの器の大きさを感じさせますね…

 

浜田:世の中には自分の知らないことがいっぱいあるんだってことが、どんどんわかってくるのが年を重ねることですね。若いときは世界の中心に自分がいるけど、いまは片隅ですよ(笑)以前「四十雀」をつくったから今回「五十雀」をつくったんだけど、「四十雀」は夢が広がる歌なの。でも「五重雀」は身の程がわかってきて、「この大空は果てないが/しょせん渡りの鳥じゃなし」。

 

――もはや悟りの境地(笑)「啓示」もまさに啓示的な一曲で。

 

浜田:「啓示」は日常の些細なことを書くのではなく、ちょっと大上段から言ってみちゃおうと思って、タイトルを先に決めたの。讃美歌みたいだよね。ただ天上のことだけ書いても自分のなかでは収まりが悪いので、松江を入れようと思って、「茜にそまる湖のほとりに」(宍道湖のこと)を入れてバランスをとった。天上や永遠のことを歌いつつ、でも私はここで暮らしていますっていう。「はぐくむことのえいえんは/このたまゆらのいのちなり」の「たまゆら」は短いって意味だから、長いことと短いことの両方を入れたかった。

 

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――それこそ浜田さんの歌詞って、近景と遠景の振り幅がすごいですよね。

 

浜田:そういう余地を残したほうが、何度も楽しめると思う。1回聴いてすごいと思って、3回目くらいに飽きる歌もあるじゃない。私は大ヒットを前提としてないし、10年後もこの歌を自分が気恥しくなく歌えるかって作り方をしてる。

 

――地に足をつけて先を思いつつ、いまの気持ちに正直に。

 

浜田:地面から離れるとこっぱずかしいんだよね。かっこつけてるなー自分って。自分で自分を見て笑うところがあるので、「てへっ」「なんてね」っていうのを必ず入れないと。

 

――どんなに「行かないで」と歌われても、別れちゃったし、過ぎたことだし、しょうがないよねって空気が漂ってますよね。

 

浜田:私自身、恋愛では「行かないで」と絶対言わないタイプなんですね。「まあ行ってください」って感じ。どんなにアプローチしたって、もう相手のこころが離れてしまったら戻らないんだよ。ひとのこころは変えられない。だからしょうがないと思うタイプなんだけど、感情をあらわにした曲も書いてみようと思って。

 

――八百万の神々の国・島根ご出身者ならではのおことば…「出会うのも縁/別れるのも縁」という歌もありますもんね。

 

浜田:そうそう。私は出雲大社の近くの子だから、ご縁とかお陰とか、さんざん聞かされて育ってるわけ。毎年10月の神有月に神様が集まって、あのひととあのひとが出会う、もつれる、別れるって、酒飲みながら来年のご縁を相談してるんだから。神様が決めてることだから。そういうなだめ方やあきらめ方をしてきたし、言い方ひとつで楽になるんだったらいくらでも言おうよっていう。

 

――冷静と情熱の間にじゃないですけど、ほんとに情熱的で情念的なところもありつつ、すごく淡々としてて凛としてる歌い回しですよね。そして明るくあっけらかんとしてる。ご自身の性が出てるんでしょうか。

 

浜田:私、明るいのよ。明るかったらね、なんでもできるよ。暗いこともできる。かなしいときに笑いながら歌ってるから、いつもまわりに突っ込まれるんだけど、かなしい歌をかなしそうに歌われたってひくだけじゃん。かなしく感じてもらいたいんだったら、やっぱり自分も一歩下がってないと。能でね、お面の顔ってずっと一緒なのに、場面によってほんとにかなしそうに見えたり、笑ってるように見えたりするでしょ。それってようするに見てるひとの感情が反映されてるわけ。だから見てるひとの感情が反映されない芸能ってだめだと思うな。だからステージ上では、押し付けないようにしてる。

 

――ご自身で感情をセーブしてるところも?

 

浜田:クラブで弾いてたから、そういうスタイルになっちゃった。クラブで弾いてるひとってほんとBGMだから、感情こめすぎたり泣きながら歌ったりすると、変じゃん。だからか、「歌いあげれない」ところもあるんだけど。むしろ淡々とやったほうが伝わる。

 

――日本語、英語、カバー、オリジナルとさまざまに歌われますが、その境目がないというか、全部が浜田さん節になっていると思うんです。メロディーや歌詞の付け方、ニュアンスの出し方、選曲にこだわりはありますか。

 

浜田:カバーの曲は強烈に自分が好きで、その曲のよさをお伝えしたいと思ってやっていますね。わかりますか、この言葉がいいんですよ、ここ大事なところですよって。でも強調しすぎたらだめで、むしろ小さい声で歌って「えっ」っとさせる(笑)

 

――随所に仕込んでるわけですね。「いつかちゃんと歌いたい歌リスト」なるものもあるらしいですね。

 

浜田:うん、仕込んでる仕込んでる。ちょっと間を空けたりね。「いつかちゃんと歌いたい歌リスト」、いまの筆頭は「ヨイトマケの唄」だね。本家がすごすぎるってのもあるし、うちの母親を思い出して泣けてしまってまだ歌えないってのもあるし。でもすごすぎないと、私がやる意味がない。