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icon 2014.12.5

台北ストーリー 第1回 11月17日号――あの大物俳優主演の新作短編を携え、「中華圏のアカデミー賞」に参加した宮崎大祐監督による台北紀行!

台北ストーリー 第1回 11月17日号

宮崎大祐

 

ということで、今回初めてHEATHAZE誌への寄稿を受け賜ったわけだが、日頃特段文化をカオスしているわけでも、ましてやドキュメントしているわけでもなく、寧ろフィクショナルなマインドと妄執に取り憑かれてひっそりと暮らしているので、少しでも貴誌のポリティカル・ポリシーに合致させんが為に、私が11月に生まれて初めて台湾は台北を訪れたときのドキュメント日記的なものを若干の文化的な戯言と体裁で粉飾し、寄稿することにした。

 

 

11月17

 

3日前にポスプロ@摂氏35℃の曼国から帰国したばかりの私は摂氏15℃前後の東京の寒さにやられ、予定通り感冒を患った。風邪をひいた場合の何よりの特効薬は気にしないこと。喉が痛いとか一瞬でも思ったら負け、だからそう思わない。思わないことに集中すると思っていることになるので、思わないことを思わないようにする。他のことに意図的に気を取られる。始発で川崎の家を出てたまプラーザから高速バスに乗って成田に向かう。嗚呼しかし何故成田は斯くも遠いのか。成田から海外の目的地よりも自宅から成田の方が遠いというのはどういう了見なのだろうか。どこが「東京」国際なんだよ、この野郎と毒突きたくもなるが、「そうだね、じゃあまるっと羽田に移そうか」とは安易に言えない歴史をこの地は孕んでしまっている。なんてシリアスぶりながらエア・チャイナ機で一路台北に向かう。機内では当然映画を見る。飛行時間3時間強、見る映画を慎重に選ばねば。決めきれず、いいとこどりでマー・ジーシアンの『KANO』とリチャード・リンクレイターの『Boyhood(邦題:6才のボクが、大人になるまで。)』を最初の1時間ずつ見ることにした。いずれも十二分に傑作足る雰囲気を湛えていたので、お楽しみは劇場にとっておくことにする。2014年の映画はいまいちパッとしないなあと思っていたのは束の間、下半期に来て大当たり連発。

 

マー・ジーシアン『KANO』のトレイラー映像

 

そうこうしている内に機は台北桃園国際空港に到着。気温は日本よりも少し高いくらいだが湿度が非常に高いので幾分か寒さは和らぐ。空港の雰囲気は非常に福岡に類似している。空港内のセブン-イレブンはおでんまで売っていて、日本と同様だ。ところで、私が何故今回台北を訪れることになったのかを皆さんに説明するのを忘れていた。私が今回訪台したのは、「台北金馬影展」通称「チンマ」或いは「ゴールデン・ホース」と呼ばれる国際映画祭に参加するためである。金馬影展は51年の歴史を誇り、中国本土をはじめ、台湾、シンガポールなどの所謂中華圏最大の映画祭として広く知られており、言わば中華圏のアカデミー賞と言ってもいいだろう。その「フィルム・プロモーション・プロジェクト」(以下FPP)に私が参加しているアジア4ヶ国合作によるオムニバス映画『Five to Nine』が選ばれたのだ。「フィルム・プロモーション・プロジェクト」と一聴すると、何のことだかおわかりにならないかも知れないが、まだ映画化されていない企画の出資者や配給者を募る場所と考えていただければいい。国際的な映画製作は撮影の前段階から始まっているのだ。まずはここのマーケットに数多ある中華圏の企画の中から精選された25本が選ばれ、出資者及び配給者を募った上、完成の暁には映画祭の支援を受けて国際的にプロモーション=宣伝されることになる。今回のFPPは私が学生時代からファンだった中国アングラ映画界の首領チャン・ミン監督やベルリン国際映画祭3作連続出品でいまや台湾若手No.1と評されるMIDI Z監督など、著名どころの監督も新企画を携えて参加していた。

 

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『Five to Nine』のFPP用ポスター

 

ということで話は空港に戻る。その金馬のスタッフさんから「宮崎監督、宮崎監督」と日本語で歓迎光臨(編注:「ようこそいらっしゃいました」という意味)を受けたものの、韓国の監督を乗せた飛行機が遅れているらしく、2時間ほど空港で待つことになった。その間、『海猿』が大好きだと言う映画学生さんに色々と質問を受けたりしていた。ようやく韓国チームが到着したのでバンで市内へ移動することに。高層団地の形状以外は広島の郊外とさして変わらぬ景色の中をバンはぐんぐんと進んで行く。付き添いのスタッフさんたちが終始北京語と韓国語で話しているので沈黙していたら唐突に「私たち日本語も話せるんですよ」と言われたので、彼女達のトリリンガルだかクアリンガルぶりに驚嘆。そういえば中華圏の方々は英語名があって便利だよね。今更自分につけるとしたらどんな名前になるのだろうか。Dから始まる名前だからダニエルになるのか、いやでもダニエルさんって『ベスト・キッド』みたいでダセーな、それにせっかく親がつけてくれた名前なのになんでそれを英米基準に合わせないかんねんとか極めて他愛のないことを考えていたら市内に着いた。

 

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野球W杯日本代表を撃破

 

今回私が滞在するのは台北の原宿と呼ばれる西門(シーメン)の映画館街にある安宿である。安宿と言っても映画祭期間中は値上げしているのか日本ではそこそこのホテルに泊まれる価格である。映画祭公認ホテルであるグランド・ハイアット台北は政治的理由によりプロデューサーたちに取られた。ウォン・カーウァイ映画よろしくな入り組んだ電化製品ビルを昇りホテルのロビーに着いた。入口には「野球U-21台湾代表が宿敵日本を倒し悲願のW杯優勝」という新聞が飾られている。信じがたいことに機内で見た『KANO』の主演級の中には実際のU-21代表も居たようだ。とりあえずチェック・インし、右も左も分からないのでタクシーに乗ってFPPの開会式が行われるグランド・ハイアットに向かうことにした。途次タクシーが乗ったバイパスがツァイ・ミンリャンの『河』でリー・カンションが原付に乗って疾走する道でようやく台北に来たという実感が湧いたが、ハイな運転手が地味にぼってきて嘆息。FPPのメイン会場であるグランド・ハイアットは101地区という新興開発地区にある。東京圏で言うと横浜みなとみらいに非常に似ている。101地区は元々巨大なたばこ工場があったらしいが何故か長らく買い手が付かず、最近になってようやく再開発されたらしい。たばこ工場の前は日本軍による台湾人の処刑場だったらしいのだけれど……。ほぼ北京語だけが飛び交う開幕パーティーで貝のようになっていたが、幸運なことにチャン・ミン監督とも少しお話しができて御堂筋線っぽい地下鉄=マルト(分かる人には分かるでしょ)に乗って西門站に戻った。どうしてこの部屋は風呂の方が寝室よりも広いのだろう。何かあるに違いない。夜中、地震のような揺れで目を覚ました。状況を把握しようと様子を伺っていると、揺れに定期的なリズムがあることに気づいた。どこかで聞いたことがあるリズム……まさか……こら『インターステラー』後半のウーハーやんけ……。結局星間ブンブン低音は夜通し下の階から響いていた。

 

※トップ写真はチャン・ミン監督と

※台北ストーリー 第2回 11月18日号はこちら

 

 

 

●Profile

宮崎大祐

 

1980年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2004年製作の『10th Room』が、マーティン・スコセッシやジム・ジャームッシュを輩出したニューヨーク大学映画学部主催の「KUT映画祭」でグランプリを受賞。翌年、『Love Will Tear Us Apart』が日本最大級の実験映画祭「イメージフォーラム・フィルムフェスティバル」で特別招待上映される。

2010年にはベテランカメラマン・芦澤明子を迎え、長編処女作にしてフィルム・ノワールに果敢に挑んだ『夜が終わる場所』を監督。トロント新世代映画祭で特別賞を受賞したほか、南米随一のサンパウロ国際映画祭のニュー・ディレクターズ・コンペティション部門やモントリオール・ヌーボーシネマ国際映画祭のインターナショナル・パースペクティブ部門に正式招待され話題を呼んだ。2012年の国内初公開では、上映後のイベントにイルリメやGEZANらを招き、「MIYAZAKI MUSIC FESTIVAL」の様相を呈した。翌年には、イギリスのレインダンス国際映画祭が「今注目すべき7人の日本人インディペンデント映画監督」のうちの1人として選出。

そして2014年、ベルリン国際映画祭のタレント部門に招待されたのをきっかけに、アジア4ヶ国の新鋭監督が集うオムニバス映画『Five to Nine』に参加。ハードボイルドと言えばのあの大物俳優を迎えた『BADS』パートを担当している。なお、筒井武文監督の『孤独な惑星』や吉川岳久監督の『ひきこさんの惨劇』『ひ・き・こ 降臨』の脚本も執筆しており、これからの活躍が本当に楽しみな才人である。

 

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