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icon 2015.11.16

EBM(T)ロングインタビュー――平成生まれのバーチャル聴覚室主宰ユニット、ナイル・ケティングと松本望睦に聞く「アート、TOKYO、同時代」

1989年生まれでベルリン在住のナイル・ケティングと、1990年生まれで横浜在住の松本望睦からなる東京発のバーチャル聴覚室主宰ユニット、EBM(T)。それぞれパフォーマーやトラックメイカーとしても活躍しているふたりだが、このインターネットギャラリーでは、音楽領域にとどまらないカッティングエッジな海外アーティストのサウンドを発信し続けている。そんな彼らがこの度、東京都現代美術館で開催中の展覧会「東京アートミーティングⅥ “TOKYO”−見えない都市を見せる」において、最年少キュレーターに抜擢。James FerraroやTCFら海外の先鋭アーティストが出品作家に名を連ねる、非常にエキサイティングな展示を行っている。

 

そこでHEATHAZEでは、満を持してEBM(T)にロングインタビューを試みた。場所はオープンしたばかりのブック&カフェ、渋谷WIRED TOKYO 1999。望睦氏とドリンクを飲みながら、スカイプでベルリンのナイル氏と繋ぎ取材を進めるという、まさにオンラインとオフラインの相互作用で表現活動を行うユニットにふさわしい時空間となった。今回の展覧会「TOKYO」について、ポスト・インターネットやキュレーション観、土地と世代、多摩美術大学時代の出会いからEBM(T)結成のいきさつまで、フルボリュームでお届けする。音楽、アート、デザイン、文学、科学としなやかに越境し、表現の可能性を押し広げようとしているEBM(T)。直接会った平成生まれのなかで、一番クールでフラットでクレバーだと感じたふたりの言葉を受け止めてほしい。(取材・文/福アニー、写真/松本望睦、福アニー)

 

※「新興バーチャル聴覚室・EBM(T)でノルウェーの先鋭電子音楽家・TCFのエキシビジョンが開催中、一回性の強度を噛みしめる」の記事はこちら

※「YMO+宮沢章夫ら参加の『東京を見せる』展覧会がMOTで開催、最年少キュレーターに抜擢されたEBM(T)に大注目」の記事はこちら

※「MOTで開催される必見の展覧会『東京アートミーティングⅥ “TOKYO”−見えない都市を見せる』の招待券をプレゼント」の記事はこちら

 

 

「私たちが選べばなんでもポスト・インターネットになる」(ナイル)

――東京都現代美術館(以下、MOT)で行われている展覧会「東京アートミーティングⅥ “TOKYO”−見えない都市を見せる」の最年少キュレーターへの抜擢、とても興奮しました。まずはその経緯から教えてもらえますか?

 

ナイル・ケティング(以下、ナイル):もともと2012年に、坂本龍一を総合アドバイザーに迎えた展覧会「東京アートミーティングⅢ アートと音楽-新たな共感覚をもとめて」に知り合いが関わっていて。私がサウンドアートを勉強していたこともあり、ブレストに参加させてもらったんです。そこでCéleste Boursier-Mougenot、Christine Ödlund、Florian Heckerをサジェスチョンしたのが始まりです。それが凄くよかったみたいで、今年、私が自分の個展で日本に帰って来たときに展覧会のブレストに呼ばれた流れで、キュレーションに関わることになりました。でも自分ひとりでやるとなると、見る側もそれがひとつの答えだと思ったり、絶対的ななにかがそこにあるんじゃないかって見えてきたりしちゃう。私が目指してる表現のかたちは、どこからでも入れてどこからでも出られるけどちゃんとした核はあるみたいなイメージなので、一作家がひとりでなにかやるという現場よりも、もっと多面的な目線でものを見られる場所が作りたかったんです。だから望睦という違う目線を持った人とのユニットでやったほうが、見る人に対してもたくさんの穴が開いているようなおもしろい空間づくりができると思って、EBM(T)として参加したいって提案しました。

 

――そうだったんですね。ふたりが思う「キュレーション」ってどういうもの?

 

松本望睦(以下、望睦):キュレーションはいつかやりたいと思ってて。自分が作るものってブーメランみたいに自分に跳ね返ってくるけど、キュレーションしたものって絶対それがありえなくて、でも自分じゃないけど自分みたいな感じもある。導いてあげるときもあれば完全にお任せのときもあるし、どちらにせよやりたいって言ってくれた人たちがやりたいことをできるようにしようと思ってるの。自分たちが作った文脈のなかにアーティストを置いていくようなところはあるかもしれないけど、それを新しい切り口にしていく。

 

ナイル:いまキュレーションって言葉で認知されてるものは、まだ広がることができるもののある状況の作り方だと思います。私が考えるキュレーションは、もっと根源的な意味でそこに「ものが立てる場」を作ってあげること。それが勝手に躍動して、ゆるやかな動きになって、あるべきところに落ちてくるような。だから多角的になにかを探して提示するというよりも、磁力みたいなエネルギーを作ってあげて、それに適したものが自然と集約されて渦巻いてくるってあり方のほうがしっくりきます。

 

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 Tabor Robak,Still from “20XX”, 2013,

Courtesy: the artist and team (gallery, Inc.),New York

 

――なるほど。「ポスト・インターネット世代の感性」というテーマで、James Ferraro、TCF、Tabor Robak、Jeremy Shaw、Jenna Suteraの5人を選定した必然性は?それによってどういう「東京」を立ちのぼらせようとしたんでしょうか?

 

望睦:テーマは美術館側が決めたの。

 

ナイル:「ポスト・インターネット世代の感性」ってテーマは社会的な関心から出てきた言葉だと思っていて。これは美術館が展覧会を作っていくプロセスで自然と出てきたものなんじゃないかと。でも私はポスト・インターネットって言葉をあんまり信じていなくて。それはあるモーメントを映し出す言葉としてわかりやすいし消化しやすいし、ポスト・インターネットという自然環境のなかにいるってあり方は理解できるんだけど、私たちがポスト・インターネットをやってる時代だとは断言できない。だからポスト・インターネットの世代なんてなくて、「ポスト・インターネット・エコロジーのなかに生きる私たち」のようなイメージです。私たちがそのエコロジーの中でのリアリティを映し出す、ということ。それと同時に「東京」って言葉を聞いたとき、凄い難しいと思って。自分たちが住んだり遊んだりしてる場所、そこはひとつのムーブメントが起きてる場所じゃないし、拡散的・攪乱的・分裂的なものがたくさん渦巻いてるから。そのなかでどういう風景や循環があるんだろうって、もっと広い文脈と目線で見てあげようと思いました。そこから行き着いたコアなアイデアをもとに私が書いたテキストがあったんですけど…

 

望睦:ポエティックだったから、実際には使われなかったんだ。

 

――えー!ボツになったナイルさんのビジョン、HEATHAZEで独占公開しましょうよ。

 

ナイル:どうぞ~。これこれ(と言ってテキストを送ってくれる)。

 

曲がりくねった道、高くそびえ立つ高層ビルと絶え間なく都市を満たすエレベーターミュージック。思想家のティモシー・モートンの私たちの生きる世界を表した「あちら側のない世界」という言葉で表されているように、私たちの世界は「あちら側」が交わり合い、境目のない環境を生み出しているのではないでしょうか。ポップカルチャーを例にとると、かつて触れられない存在としての神・偶像としての(idol)は現在、地下にまで到達しています。オーバーとアンダーグラウンドの境目はなくなりつつある。カビ、 雑草とアスファルトの湿った地面、ビルを取り巻くクラウド、そして遥か宙にはオフィス。地面とクラウドの上のオフィスを滑らかにつなぐエレベーターは絶え間なく行き来している。アップ<–>ダウンはクラウドファイされたオフィスと私たちをつなぐ道(ロード)。そのエレベーターの開く先々で、どんな景色が広がっているのかを想像することは、まだ見ぬ「あちら側」を想像することなのでしょうか。

 

――なんかもう凄い。こんな刺激的な都市を描いていたとは思いもよりませんでした。これをボツにする美術館側は「ポスト・インターネット世代の感性」に対して、どういうものを期待してたんでしょうかね?

 

ナイル:前提としてポスト・インターネットがなんなのかをアカデミックな意味ではわかっているけど、それが一体どんな質感で、どんな弾力性を持つのかってところを単純に美術館として見てみたいというものがあったと思います。インターネットが登場して以降、オンラインとオフラインの概念がなくなって、オンラインでもオフラインだしオフラインでもオンラインだって言葉では理解していても、それをちゃんとしたリアリティに置き換えて口に入れたりそこに質感を感じ取ったりすることは、エコロジーの外からでは把握しにくいことであると思います。この5人に決まったときも、まだ展覧会としての位置付けがわからなかったのかとは思いますね。

 

望睦:正直、ポスト・インターネットなんて全然意識してなかったよね。

 

ナイル:うん。私たちが選べばなんでもポスト・インターネットになるってわかってたから。なぜならすでに、ポスト・インターネット的な世界に住んでるから。そのうえで、EBM(T)的な目線で、ちゃんとそこに磁場が現れるものを作れる人を選ぼうって話し合いました。

 

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――「私たちが選べばなんでもポスト・インターネットになる」ってかっこいいなあ。

 

望睦:そういえばこないだ、元バイト先のカメラ屋さんのパーティーでtomadに高校以来7年ぶりに会って、ポスト・インターネットについて話したんだけど、ふたりともそれがなんなのかって答えが出なくて。それこそDIS MagazineやNovembre Magazineのように、ファッションと音楽がいままでより密接に結びついてきてる感じはあるけどね。あとMOTのチーフキュレーターである長谷川祐子さんが、ポスト・インターネット・アートについていいこと言ってて、それは凄い支持してる(と言って調べてくれる。以下、2015年1月11日付のTwitter@YukoHasegawaから抜粋)。

 

ポストインターネットアートにはいろんな解釈があるようです。例えばヴァーチャル/フィジカルという2項対立ではなく、オンライン/オフラインで、その先ずっとオンラインみたいな。そこではダウンロードが雨みたいな自然現象でかたられ、見たい天気や風景をダウンロードして今日の自然にする世界、があるのではないかとおもいます。世界創造ではなく、自分の内的な声をききながら世界を聴診器でさぐるみたいな感じでしょうか。レゾナンスがあるから外部からみてても清々しい。もう一つは新しいモルフォロジーによる彫刻。有機的でとんでもないブリコラージュみたいなものがくっついていながら、何かとつながっているように制御下にあるようにみえるもの。これはたくさん見ました。現代物理学の本ばかりいまさら読んでいます。

 

――今回の展覧会のラインナップを見ると、外国人のみの出品作家で構成したのはEBM(T)だけですよね。日本の文化が年々内向きに、ドメスティックになっていると感じるのですが、そのことについてどう思いますか?また、海外との交渉/海外からの招聘はやはりハードでしたか?

 

望睦:国内に彼らほど面白いアーティストがいたらセレクトしてたんだけどね。アーティストとのやり取りは、EBM(T)としてはいつも通りといえばいつも通りなんだけど。美術館での展示は自分達で期間を設定してないから「ちょっと遅れても」とかは出来ない分、タイトには感じたなあ。きつかったなあ。バタバタだったなあ(笑)

 

ナイル:ね。私と望睦に共通するのは、オーディエンスとしてエンジョイできる人間だってこと。自分がものを作ってる最大の理由も、そのものに対して観客になりたいし、それによって新しいところに繋がっていきたいから。ものを見ることで新たな多様性を理解することをずっとしていきたい。それがたまたま美術や音楽だっただけで、「私たちはアートをやってます」とは思っていない。「スタイル」にしても、細分化されたひとつひとつと私って付き合い方しかできてなくて、たくさんあるスタイルに対しての付き合い方はまだない気がしています。EBM(T)ってプラットフォームも、レコードレーベルのようにスタイリングしたりマーチャンタイズしたりするんじゃなくて、ただいろんなものが来ては過ぎていくようにしたい。意識的に「ミュージシャン」を取り上げないのも、「音楽」は速いメディアだからすぐスタイライジングされてしまう。でも「美術」はもう少し遅いメディアだからそのスタイライジングが行われる前段階で、人の耳に届けられたりパッケージングできたりする。その遅さに可能性を見ているところはあります。

 

――遅さ、凄い大事だと思います。ともあれEBM(T)セクションの会場は、行き着くところまで行き着いた空間になりそうですね。

 

ナイル:うん。いまって退廃的ですよね。それがさらに行き着いて、ポスト・アポカリプス的なビジョンを見せてる作家がちやほやされる感じはあるかも。洋服も安くなるところまで安くなっちゃった世界で、次はいろんなものがフリーになっていく時代だと思っていて。それが文化や言語や音楽はじめ、いろんな表現のフォームにどういう風に映し出されていくのかなっていうのは興味あります。たとえばEBM(T)でキュレーションしたdie Reiheを聴くと、もの凄い退廃的に聴こえる。というのも、商業的な音楽のスタイルや音感が、もの凄く空虚ななかに置かれているから。私たちの時代を映し出すなにかがそこにはあるんじゃないかと思う。そういったものがひとつのスタイルになる前に、ひとと共有できる場所になることを目指しています。