tanakamahiro
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「誰にも書けない」田中茉裕論「あの少女がピアノを弾いた」――鈴木慶一プロデュースの新作で復帰する女性SSWを覆面ライターの剛田武が郷愁と妄想まじりに語る

「誰にも書けない」田中茉裕論

「あの少女がピアノを弾いた」

剛田武

 

 

女子の秘密

 

僕が育った家庭は転勤族で、高校入学まで地方都市の父の会社の社宅のアパート住まいだった。小学校の頃は同じ社宅に住む同年代の友達と一緒に、塀の上を歩いたり、壁の隙間に潜り込んだりして遊んだ。ベランダの下のジメジメした暗がりには大きな蝦蟇蛙が潜んでいた。一方、女子が学校から帰ってから何をしているのかは、土埃で顔を真っ黒にして遊ぶ僕ら男子には知る由もなかった。当時は女子と一緒にいるのを目撃されただけで、遠くから「アツイね~、アッチッチ」と冷やかされたり、翌日教室の連絡黒板に相合傘が落書きされたりするのが常だったので、殆どの男子にとって女子は忌避すべき生き物だった。時折戸外でゴム飛びや縄跳びをする姿を見かけたが、それ以外は室内でままごとやあやとりをしたり、着せ替え人形で遊んでいたものと思われる。もうひとつ、多くの女子が自宅でしていたことといえば「ピアノの練習」だったのではないか。

 

外で遊んでいると、どこからともなく、ポロンポロンというピアノの調べが聴こえてきたものだ。それがオトナや上級者でないことは、同じ曲を何度も演奏するたどたどしい指使いで明らかだった。男子が剣道や書道に通うところを、女子は、活発な娘はバレエ教室へ、大人しめの娘は五線譜と音符模様の手提げを持ってピアノ教室に通っていた。バレエ教室は勿論、ピアノ教室も女子の園と看做されていた。クラスにひとりだけピアノ教室に通っている男子がいた。面と向かってそれを囃し立てるような意地悪はしなかったが、彼が居ないところでは、おかまっぽくピアノを弾く真似をして笑い者にすることはあった。しかし心の中では、僕を含め男子の殆ど全員が、彼の音楽の才能と共に、女子ばかりの教室に入れることを羨ましく思っていたに違いない。女子とピアノ、その組み合わせは今でも仄かな憧れとともに、立ち入ることが許されない秘密の香りに彩られている。

 

 

 

鍵盤の女子力

 

最近の音楽業界のトレンドのひとつは「ギター女子」だと言われる。が、それよりずっと長い歴史を誇る「ピアノ女子」も確固として存在する。ギター女子の多くが前向きに元気を歌うのに対し、ピアノ女子はもっと複雑である。ある者はエレガントな指さばきで大きな愛を歌い、ある者は童謡をアレンジして奇矯な歌声で異能のオーラを発する。また、若くして人生に疲れ果てたような呟きをノクターンに乗せる者もいる。ギターやアコーディオンのように持ち運びが出来ないので、何処でも演奏OKという訳ではない。代わりに電子キーボードを使えば可能だが、紛いなりにも「ピアノ」を名乗るからにはあくまで仮の姿と心得るべし。一方で、ある程度の財力がないと高価なピアノを自宅に置くことは出来ないので、ピアノ女子には必然的に良家のお嬢さんのイメージが伴う。

 

 

 

私はここにいる(I’ m Here)

 

「ピアノ弾き語りシンガーソングライターにはなりたくない」と明言している1993年生まれの田中茉裕を「ピアノ女子」と決め付けるのは、本人にとっては迷惑に違いない。それを承知の上で僕がピアノ女子の枕詞に拘るのは、彼女の歌に、40年前の女子にまつわる原体験がオーバーラップするからである。11月12日(水)にリリースされる『I’m Here』と題されたアルバムには、幼女のようなハイトーンの歌声と、ポロンポロンというピアノと、一回流しただけだと聴き逃してしまいそうな謎かけが収められている。3年前のデビュー・アルバム『小さなリンジー』は、ピアノだけの文字通り弾き語りの小品集だったが、今作は鈴木慶一のプロデュースでストリングスやバンドを迎えて色彩豊かなサウンドを聴かせる。しかし僕の耳には、新作の方が、少年時代のサウンドトラック、もしくは昭和の街の環境音楽と云える、ピアノの音色のモノクロームの思い出を濃く反映しているように聴こえるのだ。幼い子供の呟き、オトナへの憧れと恐れ、明日を生きる為の秘策、無理解への憤りと開き直り、女心に潜む残酷さ、月に支配される血の匂い、性徴の悦びと不安、などと女性論を論じることも可能だろう。しかし、ジャケットの穏やかな無表情には、男子お断りのピアノ教室で育まれた透徹した女子力が感じられる。そんな彼女の歌を世間一般の女性に当て嵌めて語るのは間違いかもしれない。

 

 

 

深窓のピアノ少女

 

田中茉裕は、3年前に体調を崩し暫く活動を中断、現在も本調子ではない為、ライブ活動は当分行わないという。

そんな彼女に捧げる妄想ストーリー。

 

その屋敷は僕の家の隣にひっそりと建っていた。噂ではさる外資系銀行の頭取の別宅だと言われていたが、朝晩家政婦がゴミ出しや買い物のために出入りする他はほとんど動きがなく、近所付き合いも皆無だったので、実際に誰が住んでいるのかは謎だった。その屋敷の2階のバルコニーの部屋の窓から、天気のいい日の午後に、ピアノのメロディーが聴こえることがあった。雨の日や曇りの日には滅多に聴こえることはなく、ほんのたまに、か細く高い歌声が聴こえることもあった。

 

どんな時でも凜としていたい

はやくおおきくなりたい

(「夕日のリリー」)

 

それを聴いて、病気がちな少女が、晴天で体調のいい時だけベッドから起き上がり、気晴らしのためにピアノを弾いているのではないか、と僕は夢想していた。体調が安定しないのか、時折不意にピアノが中断されることもあり、そのたびにハラハラしながらも、次第に想いを募らせるばかりだった。

 

秋晴れの続く11月上旬、一週間続けてピアノの音がしないことがあった。僕は心配の余り居ても立ってもいられなくなり、真夜中過ぎに豪邸に忍び込む決心をした。道端のごみ箱を足掛かりに塀を越えて庭に足を踏み入れ、雨どいに掴まって壁をよじ登った。蔦の茂ったバルコニーのテラスに手をかけて、まさに少女の部屋の窓ガラスを覗き込もうとしたその瞬間、僕の耳に微かな歌声が忍び込んできた。

 

みんないなくなっちゃえばいいな

みんないなくなっちゃえばいいな

(「菫」)

 

ハッ!(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 

とりとめのない妄想が想定外のホラーになってしまったが、清楚な佇まいに潜む恐怖感は、田中茉裕の本質的な魅力のひとつと言っていい。子供(kid)と悪魔(demon)が同棲する「マヒロ」の甘い秘密に、僕は眩惑されっぱなしだ。

 

 

 

 

●Profile

田中茉裕

1993年、埼玉県出身。6歳からピアノを始める。小学6年生より3年間、シンガポールで生活。

2010年に開催されたEMI Music Japan 50周年記念オーディション「REVOLUTION ROCK」のファイナリストとなる。

2012年3月、ミニ・アルバム『小さなリンジー』をインディーズからリリースし、箭内道彦氏、亀田誠治氏、児玉裕氏一、佐野史郎といった幅広い関係者から絶賛を受けた。

同年8月、美術家の奈良美智氏からのラブコールで、個展の会場である横浜美術館で演奏。

2013年に体調を崩し活動を休止していたが、2014年夏に体調が回復し、完成途中だった鈴木慶一プロデュースによる セカンド・アルバム『I ‘m Here』を完成させる。

 

公式HP:http://tanakamahiro.jp/

 

 

 

●Album Information

田中茉裕『I’m Here』

2014年11月12日(水)発売

1800円(税抜)

発売元:グレートハンティング/UMEA 販売元:ユニバーサルミュージック

 

 

 

●『I’m Here』Liner Notes

2011年にデビュー・アルバム『小さなリンジー』を発表した田中茉裕のセカンド・アルバム『I’m Here』が完成した。『小さなリンジー』のレコーディング時には、彼女は高校生。僕はアルバムのレコーディング・エンジニアを務め、時には学校の放課後にスタジオにやってくる彼女の歌録りをした。それから3年。21歳の女性になった彼女のセカンド・アルバムを僕は受け取ったところだ。

 

『小さなリンジー』は田中茉裕自身のピアノと歌だけのアルバムだったが、このセカンド・アルバムでは鈴木慶一をプロデューサーに迎え、サウンド・プロダクションもぐっと大きくなった。曲ごとに様々な楽器を絵の具として使われている。エレキ・ギターやドラムスが入ったバンド・スタイルの曲もあるし、チェロや電子音響なども重要なセクセントになっている。

 

このセカンド・アルバムでも僕は一部のレコーディング・エンジニアを務めたので、収録曲はすべて一年以上前にラフな形で聞き知っていた。冒頭の「夕日のリリー」などは、録音を担当はしなかったにもかかわらず、歌詞まで憶えてしまい、時おり、口ずさんだりしていた曲だった。完成版の「夕日のリリー」の幾重にもレイヤーされたサウンドを聞くと、曲が長い長い音楽的な旅をして、アルバムの冒頭に収まったのが分かったりする。

 

しかし、アレンジやサウンドがどれほどカラフルになっても、田中茉裕の音楽は決してそこに埋もれたりはしていない。なにしろ、彼女の曲はメロディーが強靭だ。メロディーが引き寄せたアレンジやサウンドのうねりが、メロディーをさらに強く響かせていく。

 

加えて、歌詞はというと、クラシックをベースにしたシンガー・ソングライターにありがちな行儀良さは微塵もない。ある意味、パンクと言ってしまってもいいようなあぶなっかしさ。が、それは外に向けられた暴力性を持つものではなく、歌うとしたら、この言葉しかない、という残酷な、選択肢のない世界を彼女自身に突きつけていくものだ。『小さなリンジー』の時よりもさらに、そんな感覚を増した田中茉裕の音楽がここにはある。

 

2013年春に彼女は体調を崩し、アルバム制作は一度、中断。一年ほど予定より遅れたリリースになった。デモ・ヴァージョンの「ゆるして」を含めて、わずか33分のセカンド・アルバム。しかし、こんな曲を作って歌う人間は、他に誰もいない。触れると手を切りそうな、鋭く、脆く、美しい曲達が並んでいるのが、この『I’ m Here』だ。(高橋健太郎、資料より)