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icon 2015.10.29

長谷川億名ロングインタビュー――2034年、南北に分断された日本が舞台の先鋭SF映画『DUAL CITY』の女性監督に迫る

「その二本を作ることで、予言をはずそうと思ったんですよ。祈りを込めたんです」

――『イリュミナシオン』を作るまでは、いわゆる長編映画は撮ったことなかった?

 

長谷川:撮ろうとしたけどエゴが邪魔して失敗してました。あとコミュニティもなかった。それまでは自分ひとりで全部やってやるっていう気持ちもなくて、でも『イリュミナシオン』はどんなに情けない作品であっても全部ひとりでやろうって。最終的にはトムと私がメインスタッフになって、映画経験のない友達に頼みながら、撮り終えました。トムとは、ダークサイドミラーズっていうバンドのPVを見てくれて、mixiで知り合ったんです。

 

 

:そう、凄いと思って。俺も映画やってたんですけどこのセンスは自分にはないわ、一緒になにかやったらおもしろいかなっていうのが始まりですね。『ジャパニーズ・グリム』っていうオムニバス映画を4人の監督で撮ろうってことで、俺が長谷川を誘ったんですよ。彼女は『ラプンツェル』っていうディズニーのアニメーション映画を実写でやりたいって言って。すっごいでっかい塔から髪の毛を垂らすだけの映画(笑)

 

長谷川:その映画の設定もすでに日本はなかったですね。でも忍者が王子様で、お寿司みたいな日本的な食べ物だけは残ってるっていう。忍者の服って機能性も備えてるしちょっとフェティッシュな感じもするしいいですよね。ユリウスってブランドも忍者っぽくて好きなんです。

 

――ヘルスゴスってファッションの潮流も、最初見たとき「忍者じゃん!」って突っ込んじゃいました。

 

長谷川:そうそう(笑)だからちょっと前からほんとに忍者は気になってました。でも『ラプンツェル』も結局流れて…『DUAL CITY』よりずっと狂ってるよね?

 

:いや、『DUAL CITY』もいまのバージョンは狂ってるよ。CGの守屋さんにはネジがぶっ飛ぶまでがんばってもらった(笑)

 

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――守屋さんとはどういう繋がりで?

 

長谷川:守屋くんはDiSKOMARGAUXって名前でMCやってるマイちゃんって子のライブの撮影で知り合いになって、これから映画撮るんだけどCGのディレクター探してるんだって言ったら、僕やってますよって。

 

――えー!前にK-BOMBさんのDJ聴きに行ったとき、現場でかわいい女の子からCD-Rもらったんですけど、それがDiSKOMARGAUXさんだったんですよ。CARIOSさんとの「Netscape Navigator」とか凄い好きです。食品まつりさんの作品でもヴァース蹴ってますよね。

 

長谷川:そうなんですか!私、10年来の親友で。mixiでマイちゃんに出会わなかったら人生が全然違うものになってたと思います。自分ひとりのコラージュ以外で、一番最初にひととなんかやろうって言ったときに一緒にやったのがマイちゃんでしたね。

 

――そんなに仲良しなんですね!

 

長谷川:それであるとき私が高野山とか聖山を旅したときに、岡山にいる西洋魔術研究家のバンギ・アブドゥルさん――『イリュミナシオン』のディーラー役のリョウくんって子が、ティモシー・リアリーやアレイスター・クロウリーなどのニューエイジ思想や神秘主義が好きで、その繋がりで紹介してもらった――の家に泊まらせていただいたんですけど、「2012年で時間はなくなる」って言われて。そのあと東京に帰ってきてマイちゃんとSkypeしてたら、「時間なんてほんとはないかもしれない」って急に言ったんですよ。それで時間について考えて、人間がほんとに求めていてもできないことがあるとしたら、死んだ人ともう一回会うってことと、時間をさかのぼるってことなのかなと思って。会えたとしても死んだ人のどの瞬間と会うのかとか、結局パラドックスがあるじゃないですか。だから『イリュミナシオン』でもほんとにタイムトラベルできるわけじゃなくて、薬でタイムトラベルできる感覚になるっていう設定にしたんですよ。

 

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――死んだ人と会いたいですよね。自分の周りは夭折する人が多くて、あのときどう思ってたんだろう、どうしたら会えるんだろうっていう。夢で会えても自分の記憶が作り出したものだろうし…SFという手法を取りながらも、男性ふたりが軸となる『イリュミナシオン』と、女性たちの物語『DUAL CITY』を立て続けに見て思ったのは、長谷川さん自身も「なくしたものの記憶」に凄く興味がおありなのかなって。

 

長谷川:そうですね。運よく私の周りには夭折する人はいないんですけど、私自身、結構死にたくなるときはありますね。大学で哲学科だったんですけど、そこに入る人ってそれだけで不幸だって先生に言われたことがあって。生と死についてはやっぱり興味あるし考えちゃいますよね。あと女性だとやっぱり、生きていくのがどんどん重くなる。私はつらくなるんですよ。30だしって、自分が自分に背負わせてるんだと思う。ちょっといままでの生き方を変えなきゃいけないなとは意識し始めましたね。男はないよね?

 

:むしろ30になってさっぱりしたみたいな。下半身で物事を考えないようになって…(笑)

 

――個人的にはもっとこんがらがってきてる気がするなあ。

 

長谷川:そうそう、私もそうなんですよ。なんでですかね?ちょっとしたことで泣いちゃうようになっちゃったし。それから、ある自殺してしまった女性の写真家がいて、その人の写真集がずっと気になっています。勝手な思い込みですけど、写真を撮ってると孤独な作業じゃないですか。孤独なところで繋がれて…私はそれで生き延びるというか。それは凄いずるいことだしご本人には関係ないことだけど、私も究極的なものを作れば誰かを生き延ばすことができるのかもしれない。たとえば死んじゃった友達がネットに書いたほんとたわいない日記でも、そこが殿堂みたいになって、お墓参りみたいな感じで何回も読みにいくじゃないですか。そうやって私が死んだあとも残るし続くような、そういう深いところで繋がる人になりたい、そういう時を超える場所を作りたいって思うんです。昔はもっと攻撃的で反抗的だったけど…

 

――それが変わったのは?

 

長谷川:出会いと別れを繰り返し、ですね(笑)映画を作る上でも、やっぱり伝わるようにしようと思ったんだと思います。あと東日本大震災もあったし…そのときはちょうど実家がある栃木の那須にいて…震源地と近いんです。いまとなると大げさな話にも聞こえるけど、もう死ぬかなと思いました。100km圏内は300km圏内と全然違う、東京のニュースが私のリアリティと一致してないと思って、親は行かないっていうからひとりで南に避難したんです。それから一週間後に、どうしても見に行かなきゃと思って、岩手の三陸沖に行って。

 

――震災地に立って率直にどう感じました?

 

長谷川:逆に人の存在を感じました。なにもかもなくなった場所で、おっきな屋根だけが残ってて、普通に子どもや陸上自衛隊の人が歩いていて。凄い晴れてて不思議な開放感がありました。亡くなった人がいっぱいいる場所だし、それでも現実は続くんだなと思いました。地震でなくなってしまった写真を拾い集めて本人に届けようとしているプロジェクトや、詳しく取材したドキュメンタリーを見ると、もっと正しい関わり方をしたかったと思うけれど、ほんとに純粋に、あの場所を見たかったんです。

 

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――うん。その経験は映画にもにじみ出ていると思います。『イリュミナシオン』は戦争に行くか行かないかの瀬戸際の話で、『DUAL CITY』はすでに日本が南北に分断されていて紛争中という話ですよね。東日本大震災以降、本当にAKIRAの世界が先か、東京オリンピックが先かの不穏な状態に現実の日本もあると思うんです。入口に立っているのではなく「もう入ってるんだ」という時代感を凄い切り取っていたなと。

 

長谷川:その二本を作ることで、予言をはずそうと思ったんですよ。祈りを込めたんです。でも全然はずれてないからだめだなと思ってる。芸術ってどうかかわっていったらいいのか難しいですよね。

 

――『DUAL CITY』に限らず、五十嵐耕平監督の『息を殺して』、二宮健監督の『SLUM-POLIS』、竹内道宏監督の『世界の終わりのいずこねこ』と、近未来を据えた作品が一気に出てきたことがそれを物語ってますよね。AKIRAやエヴァは新東京が舞台ですが、2034年の新大阪という設定にしたのは?

 

長谷川:それはやっぱり単純な発想だけど、放射能は簡単にはなくならないだろうなって。いずれ経済活動の中心が、その範囲からずれたところになるんだろうなって。南北を静岡で分断したのも結構常識的に考えたし、2034年くらいまでちゃんと年表を作ったんですよ。

 

――それ、見たいような見たくないような…インディーズ映画はとかく「六畳一間の俺の苦悩映画」か、「世界対俺映画」に陥りやすい気がするのですが、そうしたなかで十分ありうる近未来の日本をSFで描いたことに興奮しました。この時代だからこそ必然性と説得力が増すなと。なぜ、いま、SFという手法を取ったんですか?

 

長谷川:SFはやっぱり凄いですよね。娯楽小説から始まってるところも好きだし、でも哲学的だし。スペクタクルと真理の究極系というか、普通の日常を描いているだけだと設定できない状況を設定できるのがいいのかなあ。とくにスペキュレーション(思索)SFってジャンルが好きです。でもフェティッシュな、サイバーパンク的なSFを作ってた時とは意図が違うと思うんです。『DUAL CITY』のような映画をやるにしてもいまは情報が凄いから、いくらでもコピーできてしまう。そのなかで凄くフェティッシュなことをやるっていうのは抵抗になるし、モノってことを凄く意識する。ただあまのじゃくだから、みんながSFを撮り始めるとやりたくなくなる(笑)

 

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――(笑)。そしてタイトルを『アビス』から『DUAL CITY』に変えた理由は?

 

長谷川:元タイトルは『アビス』で「アビス」という深海のような場所がディープインターネットにあり、アビスで暗躍する世界中のハッカー集団と、アビスを利用して北部から南部へ兵士用の薬を流す、一人の看護婦(娘もいない設定)の話だったんです。その頃は、SFという言葉はどちらかというと90年代的な人間観・人生観を引き継ぎつつも、非現実的なスケールに置いてみるための背景のようなイメージで使っていました。

 

――そうだったんですね。

 

長谷川:それで『アビス』では、ディープインターネットは分裂した南北や、生と死すらも繋がっているという設定で。それはいまの情報生命がネフェスにプールされているイメージに引き継がれています。でも脚本を書いている段階で、どんどん海の中からは離れて南部と北部の都市の違いなどにフォーカスしていき、サイバーパンクやSFの夢を背負おうと思って、内容も本格的で割り切ったSFのイメージになっていきました。

 

――じゃあタイトルも…

 

長谷川:そうです。そういう経緯で途中でタイトルを集中して考え直しました。グレッグ・イーガンの『順列都市』やゴダールの『アルファヴィル』から、都市はSFへのオマージュになるし、使いたいと思って『分裂都市』を考えたけど、石井岳龍監督の『爆裂都市』とあまりにも似ている。しかも「分裂」という言葉が複数に分かれた状況を表してはいるけど、その間に働く力を表していなくて、理想的ではないと思ったんです。

 

――確かに。

 

長谷川:こういう希望要件を把握しつつ、最後に「デュアル」という言葉にピンときました。デュアルは「二重」「二者」を表すそうで。二つのものが同時に存在しているというのは、アンダーグラウンドな情報世界が自分の住んでいる街に潜在的にあって暗躍している様子が表現できるし、CG合成の現実の上に世界を描く方法論とも一致した。二つのものの対面からは、化学変化も期待できると思う。そういうわけで、『DUAL CITY』に落ち着きました。

 

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――凄くぴったりなタイトルだと思います。それにしてもディープインターネットはヤバそうですね。

 

長谷川:知らない世界が広がってますよね。新宿IRAで写真展やってたguidoっていうチリ人の闘士からメールが送られてきたときに変な添付ファイルが付いてたんですけど、「これなんなの?」って聞いたら政府にメールの内容を読まれないようにするためのものだよって。チリはそういう風になってるんだって。ネット上の攻防戦にしても意識が違うなと思いましたね(編注:監督から追記が。ぜひチェックを!→guidoのウェブサイトを一応貼っときます。めっちゃカッコいいです!! https://bruo.org)。