「優しさとか戦争はだめだとかで変えるのは限界があるのかなと思っちゃったんですよ」
――それにしてもこれだけの熱量、制作過程はとても大変だったと察します。
長谷川:やっぱり人間関係が大変でしたね。スタッフの中には映画をこれまで何作も撮ってきた子もいれば、映画とは関係のない友達で、滋賀まで参加してくれた子もいました。でもね、ほんとにがんばってくれたんですよ。最初は私とトムと、役者をやっているサホちゃんと、アマラブというジャークチキン屋さんのメンバーのトミーしかスタッフがいませんでした。カメラマンの中瀬くんはインターネットで自主制作映画の情報を見まくって探して、メールを送って、彼が映画学校の出身だったのでそこから専門的なスタッフも集まってきて。あとは勢いで撮りましたね。
原:主演の森田亜紀さんもクランクインの一週間前まで決まってなかったし(笑)
――うわ~。ちなみに、オーディションのとき俳優さんに必ず星座を聞くという噂を耳にしましたが(笑)
長谷川:趣味で。星座おたくなんです(と言って筆者との関係性を調べてくれる)。福さんは孤独な実験科学者タイプですね。私はその実験動物だったんですよ。でも情が移って私のことをペットにして救ってるみたいな関係性です。
――不思議な関係性(笑)ともあれ依子役の森田さん、絶妙でしたね。アユミ役の馬渕さんも色気ありましたし。演技指導はどんな感じで?
長谷川:森田さん、よかったですよね。あれできる人なかなかいないですよね。馬渕さんには当て書きで、リハーサルいっぱいして話し合いもしました。森田さんにはなにも言うことはなくて、一番こだわりがあったナレーションも一発でした。あ、なんで依子は北部にいるのか、出てこないですけど旦那さんとはどういう関係なのか、そういう生まれたときからの人生年表を『DUAL CITY』版に書き変えたものは渡しました。
――その設定は三部に出てくるんですか?
長谷川:いや、多分使わないと思います(笑)『日本零年』のときは、依子が北から南に来る境界線上で、出兵したヨウスケ(『イリュミナシオン』ではKID FRESINOが演じている)が依子を殺すって話だったんですよ。彼女は私のなかで全然母親じゃなかったんです。北部だと麻薬がいっぱい手に入るから、彼女がその麻薬を南部のテルに流して、彼がもっと軽いパーティードラッグにしてるって悪い女の設定。それが『DUAL CITY』では凄いたくましい母親になっちゃって。
原:物語的にわかりやすい軸を作るために、娘を亡くした母親って設定にしたんだよね。
長谷川:「母親」には昔から興味があったんですよ。ただ自分に母性があるとは思わなかったから、描くのは無理だと思っていて。でも子役たちのお母さんを見てなんとなくわかりました。この子が死んじゃったら狂っちゃうだろうなっていうところから近づいていった感じかな。三部は、父性の問題は考えたほうがいいのかなと。多分父性を描けないのは、父親的な国といまの私の関係が問題でもある気がする。
――青山監督の『サッド・ヴァケイション』も母性の問題でしたしね。だから逆に、男性的で強硬な安倍総理が、一部の人達から熱狂的に受け入れられている時代なのかなって。
長谷川:ぽっかり空いたところにね。父性の問題としたら、アントニオ・タブッキの『供述によるとぺレイラは…』が繋がるかな。ポルトガルが舞台で、奥さんを亡くした孤独な新聞記者が政治運動をしている若い男女二人に関わることで捕まり、その経緯を誰かに供述しているという形式で書かれていて。なぜ捕まったのかというと、最後に新聞記者として国の政治に対してできる最大のことをするんです。若い二人のことも、母性とは違う距離感で守るんです。本当の父性や祖国愛ってどういうものなのか考えさせられます。
――うん。愛国心と言ってもパトリオティズムとナショナリズムは違うっていいますもんね。いわゆるライトな人もレフトな人も国のことを思ってこその姿勢の違いなんでしょうけど。
長谷川:確かに。自分を育ててくれた土地だし、国のこともっと考えなくちゃなって。ヒューマニズムすぎるきらいがあるけど、祖国愛っていうのは誰でも持っているもので、自分自身で大切にすべきルーツだと思う。でもそれは、他人のルーツの否定には結びつかない。そういう祖国愛のイメージの広がりを、この本から感じました。父親という言葉に関しても同じく。血の繋がりって日本人は強く思うかもしれないけど、外国人は養子とか普通だし。
――血が繋がってるから家族なのか?子どもがいないと母性がないのか?って話にもなりますね。
長谷川:そうですね。ただヒューマニズムでできる…優しさとか戦争はだめだとかで変えるのは限界があるのかなと思っちゃったんですよ。自分の考え方も使う言葉も変えて、もっと壊さなきゃと思って。そうすることで世界も変わるような、そういう映画をいまは作りたいと思ってるんです。
――『DUAL CITY』を作ったことで、それはどれくらい達成できたと思いますか?
長谷川:『DUAL CITY』は人間性を彼方に押しやってはいます。人間よりもっと大きいものがいるっていう風にはできてると思うんですよね。ただ人間だから限界があるし、平和な宇宙人にはなれないから、人間っていう限界のなかで生きていくっていうことについて全体として言ってるつもりではあります。あとやっぱり「声」にこだわりがあるので、最後の声を聴いてほしい。それとともに運ばれていく依子の表情も。一人の人間の人生のスパンよりも、スケールの大きいものを捉えられたと思っています。
――そこで死んだ僕の彼女の音楽が流れるじゃないですか。どこに行くかわからない状況のなかで、くさいですけど、愛と希望と抵抗を感じましたね…
長谷川:ありがとうございます。死んだ僕の彼女には、こういう曲を作ってくださいって言って作ってもらったんじゃないんですけど、なぜかシンクロして。ネフェスって「吐く息」って意味なんですけど、彼らからもらった曲のタイトルも「吐く息」でびっくりしました。あといまね、小林うてなちゃんって凄い才能ある音楽家がいるんですが、その子がアクションシーンに新しい曲をつけてくれてます。ビョークに聴かせたいくらい。
――それは楽しみです。そういえば日本未公開のSFスリラー『エクス・マキナ』も見たくて。Googleの社長とおぼしき登場人物が出てくるんですけど…
長谷川:あ、『DUAL CITY』撮る前、これからのウェブ社会について聞きたくて、Googleに取材に行ったんですよ!Google Xっていう実験的プロジェクトがあって、「ムーンショット」っていう、成功しなくてもいいから月に届くほどのアイデアを大切にするって言ってました。いま月に繋がるエレベーターを作ろうとしてますしね。あとビル・ゲイツ財団は、女性にチップを埋め込んで、妊娠を遠隔抑制する装置を開発してるみたいです。
――女性としてはいろいろ考えちゃいますね。
長谷川:女性といえば、ピナ・バウシュこそ女性のいろんな側面を描いてる人で、太古の桁外れさと最先端の感性があって、大好きです(音楽のセレクトも、2008年はアモン・トビン、レフトフィールド、三宅純など。ハンガリーのあまり情報のないミュージシャンとかもいるのがさらに凄い。ツアーに行くたび、トランクいっぱいのCDを買ってたそう)。亡くなる直前の2008年に『フルムーン』っていう来日公演だけ見たんですけど、いままで見た芸術のなかで一番感動しました。体が破裂しそうだった。ピナを見て、芸術は本気で遊ぶためのものなんだと思いましたね。
――ほんとにそう思います。
長谷川:女性ってある意味強いし、自分の世界がある女性が好きですね。たとえば『DUAL CITY』でも、依子は凄く地味で、他の人には顧みられていないし、いまは男の人も娘もいない。でも仕事だけは持ってて、南部に行くとそれで必要とされたりする。ホーキング博士が、仕事がなければ人間の人生はからっぽだ、仕事を大切にしろって言ってて。私の母も働いてましたし、そういうことを女性に向けて言いたかったのかもしれないです。人間の美もアンドロイドの美も、女性のいろんな側面を描くようにはしてますね。
――『DUAL CITY』も窓から光がさしてきて、そこにいるアンドロイド、凄い綺麗でした。
長谷川:あれも遺体をよっこらせってやるじゃないですか。あれどうなのって言われたけどやってほしかったんですよ。あの重さを出したかった。
――来たるべき三部に向けて、もう少し聞いておきましょうか。
原:三部はとりあえずSFってジャンルはなくすよね。2034年を舞台にして、もっと土っぽい人間ドラマになると思う。
長谷川:ただ、戦争映画がいまはやってるから、戦争映画にはしたくないと思ってる。エミール・クストリッツァが撮ってるようなカーニバル的な長さにしたいかな。人間ドラマにすると思うんですけど、ヒューマニズムに限界性を感じたままでは嘘になるし…
――ヒューマニズムを超えるものとして長谷川さんが考えるのはどういうものなんですか?さっき過激なものを作りたいって話も出てましたが。
長谷川:自分がヒューマニズムを超えたいという時は、人間の考え方を根本から変えたいという意味もあるし、人間的なものは決して本質的なものではないと思うことからも来ていて。例えば動物の世界はきめ細かいグラデーションのように全体が動いていて、似ている形の隣り合う種がたくさんいる。人間は似ているとしてもチンパンジーやイルカで、余白がありすぎる気がする。だからよく自分自身についてわからないんだと思う。自分たちが生み出したものについて考えたり、昔の祖先たちや未来人について思いを馳せたり、遠くの生態系まで知っていったりすることは、人間の生き方を変えると思う。(『INFOMENTAL』で特集した)バリーのCG世界は、そういう人間に近いエモーションを持ってるんだけど全然違う世界を覗けますし、ピナ・バウシュの舞台でも動きが言葉以上に伝わってきて、それまでイメージしていた「ダンス」という枠だけでは括れない、観客との濃密なコミュニケーションになっている。それにとても驚きました。
――非常に奥深いですね。
長谷川:あとドイツの「ニッポン・コネクション」に行ったとき、カタールのドーハにも寄ったんですよ。初めてのイスラム教の国だったんですが、小さなお店の廊下でいきなりお祈りを始めた人を見て、宗教がこんなに生活に密着してるんだと感動して。一方で、ドイツではゴシック様式の教会にも感動しているという。矛盾した宗教観だけど、そのパラドックスや多様性を、自分が介することで繋げるようなことができたらと思う。だから究極のものを映してしまうデュラスのような人にはどうしようもなく惹かれるけど、その前にはいろいろなバラエティがあるというのが、自分がやることとしては逆に意義を感じます。すべては一時的なものかもしれないけど、それらを取り込んで一つのテーブルに置くこともまた、すごく難しいし、違う道が開ける回路があるかもしれない。ただ映画の出自を考えると、人工物や科学でできているから、踊りや演劇などのように神のためにというのとは違う。人間が別の世界を見る窓のような、どこまでも人間のためのものなんだろうとも、内心では思っています。
――とても素敵なお話が聞けました。最後に、HEATHAZEの読者に向けてメッセージを!
長谷川:いやもうほんとに、哀しいことを思ってる人がいたら私にメールください。一緒に映画撮りましょうって言いたい。被写体を常に探してるんで。ヒロ(KID FRESINO)も会ったときはラップしてなかったですし。一緒に駐車場で練習とかしました。あと映画、ぜひぜひ、見に来てください!
●Profile
長谷川億名
1985年栃木県生まれ。東京都在住。幼い頃から映像に目覚め、映画に憧れながら、家にあったビデオカメラでコラージュ映像を作り始める。2006年頃よりインターネットを利用し、Yokna Patofa名義で作品を多数発表。写真の分野でも2013年度キヤノン写真新世紀で佳作受賞。2012年頃から、近未来日本を舞台にした『日本零年三部作』を構想。第一部として、映画『イリュミナシオン』を完成させる。『DUAL CITY』は、その第二部となる。
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DUAL CITY Twitter:https://twitter.com/dualcity2034
Blog:http://yoknapatofa.hatenablog.com/
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●Information
CO2東京上映展
2015年10月31日(土)~11月6日(金)@渋谷ユーロスペース
全日21時よりレイトショー
詳細:http://co2intokyo2015.tumblr.com/
11月1日 (日)
『イリュミナシオン』(当日1000円)
11月2日 (月)
『DUAL CITY』(前売り1200円)
【上映前舞台挨拶】
登壇者:長谷川億名監督、森田亜紀さん、馬渕智未さん、normarataniさん
20時55分より開始
【上映後トーク】
テーマ:「映画は現実を変えることができるのか」
登壇者:長谷川億名監督、バンギ・アブドゥルさん(現代西洋魔術研究、翻訳)、守屋雄介さん(CGディレクター)、原智広さん(司会)
22時40分より開始、23時終了予定
11月6日(金)
『DUAL CITY』(前売り1200円)
【上映後トーク】
登壇者:長谷川億名監督、森田亜紀さん、三坂千絵子さん、normarataniさん、原智広さん(司会)
22時40分より開始、23時終了予定