文・福アニー
映画『国宝』の大ヒットも記憶に新しい李相日監督の初期作『スクラップ・ヘブン』(2005年)が、21年ぶりにリバイバル上映される。
正義のヒーローを夢見ながらも鬱屈とした日々を過ごす警察官のシンゴ(加瀬亮)、飄々としながらも激しい怒りと哀しみを内に秘める清掃員のテツ(オダギリジョー)、自宅で爆弾を作りながら薬剤師として働くミステリアスなサキ(栗山千明)。とあるバスジャック事件に居合わせた3人がその後再会し、社会への抵抗として“復讐代行”で交差していくが――。ヒリヒリした熱量と危うさが全編に漂い、理不尽や不条理に抑圧され暴発寸前のムードをたたえた映画だ。
そのラストシーン、シンゴのなんともいえない表情を引き受けるかのようにエンディングで流れるのが、2025年に活動休止したロックバンド・フジファブリックの「蜃気楼」(作詞・作曲:志村正彦)だ。この曲はアルバムに入っておらず、シングル『茜色の夕日』(2005年)B面か、カップリング曲を集めた『シングルB面集 2004-2009』(2010年)でしか聴くことができない。そのため、いまや音楽の教科書に載るくらいの代表曲になった「若者のすべて」は広く知られていても、「蜃気楼」はファン以外にはあまり知られていない一曲かもしれない。
ギターとピアノの不穏で不気味な掛け合いから始まり、ゆったりとしたテンポが幽玄さを醸し出す。終盤、ピアノの不協和音が壊れゆく世界/自我を描きながら、最後のギターで仄かな希望も感じさせる。志村は淡々と、しかし地べたを踏みしめるように力強くこう歌う。
蜃気楼
三叉路でウララ 右往左往
果てなく続く摩天楼喉はカラカラ ほんとは
月を眺めているとこの素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
新たな息吹上げるものたちが顔を出しているおぼろげに見える彼方まで
鮮やかな花を咲かせよう蜃気楼… 蜃気楼…
この素晴らしき世界に僕は踊らされている
消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってるおぼろげに見える彼方まで
鮮やかな花を咲かせよう蜃気楼… 蜃気楼…
『志村正彦全詩集』(2011年、PARCO出版)より
横尾忠則の「Y字路」を想起させるような眼前の風景と、都市生活者の孤独な心象風景が見事にリンクした音世界。「蜃気楼」はどのように作られていったのか。志村は当時の日記にこう綴っている。
『スクラップ・ヘブン』と“蜃気楼”
2005.09.06皆さん、ご存じの方が多いと思いますが、もうすぐリリースされるフジファブリックのシングル『茜色の夕日』のカップリングの“蜃気楼”は、映画『スクラップ・ヘブン』のエンディングテーマになっています。フジファブリックは映画のエンディングの曲を担当するのは初めてでした。
映画の世界観を音楽でさらに深く広めるべく、李監督と密に打ち合わせをし、この曲ができました。今までの音源からだけの発信とは異なり(ライブは別ですが)、映像とのコラボレイトというのは非常に新鮮であり刺激的でした。従来の映画の、出来上がっている映画に対して既存の曲をエンディングにはめ込むだけの作業とは違い、映像と音の双方によって作り上げられていく作品ができたのが何より嬉しいです。そんな感じが映画を観た人に伝わったら嬉しいです。是非映画館に観に行ってください。
今日は李監督と久々に会い、映画のパンフレットに載せる対談をしてきました。いろんな話を伺い、今までお会いした音楽関連の人達からの話も新鮮だったりするのですが、映画の人から伺う話はやはり新鮮でした。面白かった。
これから先また、映画及び映像関連の方とフジファブリックが関わるかはまだ全くもって未定ですが、また面白そうなものがあったらやってみたいです。
『東京、音楽、ロックンロール』(2009年、ロッキング・オン)より
そのパンフレットの対談のなかで、志村は「映画の登場人物が歌っている感じにしたいと思った」とも話している。
その後、塚本晋也監督・松田龍平主演の映画『悪夢探偵』に、これまた怒涛のダークワールド全開の「蒼い鳥」(2007年)を書き下ろすのだが、本当にもっともっと志村の映画音楽を聴いてみたかった。さらに息苦しさでぎゅうぎゅうになっている現代で、不器用な優しさで、彼はなにを歌っただろう。
2009年12月14日、長年の夢が叶い志村にインタビューしたとき、音楽を作るうえで大切にしていることについてこう語ってくれた。
音楽を作るうえで、やっぱり一曲ずっと聞いてもらいたいので、飽きさせないような工夫はしています。ちょっとしたアレンジメントだったり、歌詞の解釈だったり。あるワードを入れることによって、捉え方がちょっと変わることもあるので。
「君が好き」ってワードがあったら、フジファブリックはそういうことは歌わない。むしろ「君のことは嫌いじゃない」って言う。そうすると好きになるかもしれないし、普通になるかもしれないし、でも嫌いじゃない。
だからお客さんにとっても「この人のことは好きなんだ」っていう明確なことを歌っているのではないから、いいように解釈できる。リスナーの想像次第で、すごいラブソングにもなるし、友達の歌にもなるし、そういう曲を作ろうと心がけています。でもたまにすごいラブソングを作ると、すごい反応があってうれしいです。
2010年1月12日に掲載予定だった朝日新聞夕刊インタビューより(追悼記事として公開した記事の一部を再掲)
志村がリスナーを信じ、自由な解釈と想像力を大事にしていたことがわかる。『スクラップ・ヘブン』の劇中、テツが「この世の中、想像力が足りねえんだよ」と吐き捨てるシーンがこだまする。
振り返れば、コロナ禍の混乱と狂騒の中で自分だけの城に閉じこもってよく聴いていたのが「蜃気楼」だった。日に日に増していくとんでもなさに嘆息しながら、この重く仄暗い曲は心地よく響いた。いつの時代にも通底する不穏さを掬い取り、割り切れない思いやどうしようもない気持ち、感情の余白やグラデーションをよしとする普遍性を持っているからだと思う。
この20年で世界はマシになっただろうか?少なくともより窮屈で、殺伐としていて、面倒くさくなったと感じる。フジファブリックには「東京炎上」(2007年)という曲もあるが、当時はいまでいうところの「炎上」の意味はなかったと記憶している。言葉の文字面だけを追い、おもしろおかしく切り取り、すごい勢いで正論を振りかざし、言いたいことも言えないこんな世の中。つい最近も人類は月の裏側にまで行ったのに、いまだ世界では戦争が絶えない。SNSやAIが爆発的に進化してますます便利な社会になった反面、常に人の反応や顔色を伺い、情報に振り回され、自分の頭で考えること、感じることをないがしろにしてはいないだろうか。そのことを『スクラップ・ヘブン』に、「蜃気楼」に、鋭く突き付けられている。
日常と非日常、現実と幻想、正常と異常、正気と狂気のキワキワのところで、いまもフジファブリックの、志村の音楽は鳴っている。


