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A,B,CIVILMAGAZINE 第6回 橋本麦――クリエイティブ集団・CIVILTOKYOが注目アーティストにインタビュー

「僕のやりたいアイディアの中からどれかを、無理矢理クライアントワークにこじつけてぶっこんじゃう」

――仕事ということになると、クライアントによって求めるアート性や作品のトーンが違うと思いますが、そういう時に基礎的な部分があれば、自分の手法とこれを組み合わせて、みたいな柔軟な対応ができると思うんですよね。そういうのがないと自分の手法だけに溺れがちになってしまう気がします。

 

:でも僕は、デザイナーの方がおっしゃるようなクライアントの依頼に対して最適解を返す、みたいなのはあまり得意じゃないです。そういう風にしようと思ってやっていた時期もありましたが、しんどくなっちゃいました。だから最近は、僕のやりたいアイディアの中からどれかを、無理矢理クライアントワークにこじつけてぶっこんじゃう、みたいなやり方をしてしまってる気がします…

 

――ただ、著名なデザイナーの中にはどちらかと言うと作家に近いような方もいらっしゃいますし、自分のやりたいことをこじつけて仕事として成立させるというのは少なからず必要な部分なのではないかと思います。

 

:確かに…いや、それでは無理やり自分を肯定しているような気がしてしまいますね。僕は自分が作家然としているつもりはないんですが、今のところ僕に任せてくれる仕事が多いっていうのは幸せだと思います。

 

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KAMRA – Deja Vu

 

――今のお仕事を始めたきっかけはなんだったんですか。

 

:在学中に、今いるINS Studioの方と仕事する機会があったんですよ。実は昔からgroup_inouのアートワークやMVなどを手がけてたチームで、僕は学生の頃からファンだったんですけれど、初めてスタジオに打ち合わせに来た時、group_inouの『MONKEY / JUDGE』のジャケットのポリゴンの「考える人」の実物がボンと置いてありました。それでふわふわっとフェードインしてきた、みたいな流れですね。なんか良いなーと思って作業環境も置かせてもらってるうちに気づいたら一員になっていた、という感じです。

 

――大学在学中からプロとして仕事をされていたというのはすごいですね。

 

:映像だとあまり珍しくないと思います。

 

――どんな仕事をされていたんですか。

 

:スマホアプリの紹介ムービーをつくったり、テレビ番組のランキングで「1位!」ってドーンと出てくる文字のグラフィックとかやっていました。僕は僕で、「俺はプロとして仕事してるぜ」みたいな承認欲求が満たされちゃってたので、あまり相場感もわからないままやっちゃってました。

 

――自分が学生だった頃で想像すると、ちょっとぐらい大変な仕事でも5万円もらえたら手放しで喜んじゃいそうですもんね。その経験がその後に生きる部分もあると思うので無駄ではないと思いますが…

 

:僕は学生の頃に仕事をしてしまったのは少しだけ後悔してます。当時お仕事をくださった方には本当感謝してますが、授業が疎かになった上に、そういった方々にたくさん迷惑をかけてしまいました。

 

――でも、誰でも簡単に映像がつくれちゃうみたいな話は、1980年代にMacが出てきてグラフィックがすごく軽いものになった、みたいな話と近いような気がしますね。

 

:僕はその当時中学生だったんですが、その頃はStashみたいな映像系マガジンがありました。StashはDVDマガジンで、僕には高すぎて買えませんでした。だから当時は、サイトの最新号のページでサムネイルの文字情報を読み取って検索かけて、The MillとかPsyopっていうプロダクションがヤバイんだ!みたいな感じで、Stashを一度も買うことなく、各プロダクションのサイトでStashに載っているような映像を見まくってました。あとは日本だとteevee graphicsっていうプロダクションの映像も見てました。Vimeoなどもないので、320×240pxくらいの小さい画面で(笑)

 

――僕たちと麦さんは7~8歳違うので、僕たちの中高生の頃はやっとADSLが出始めたくらいの頃だったんですよ。だからネットで検索をかけまくったり、映像を見まくったりっていうことがあまりなかったんですよね。

 

:僕の家はダイアルアップもすごく早い時期からありましたし、中学になる頃には光回線が通ってました。確かにそういう環境は大きかったかもしれないです。

 

――僕たちが中高生の頃は、まだ雑誌を買って情報を仕入れていました。

 

:僕は雑誌は見ていなかったですね。初めて音楽を買ったのもオンライン音源でしたしね。

 

――CDじゃないんですね。それはいつ頃ですか。

 

:小学4年だと思います。なぜか雅楽演奏家のCDで(笑)当時、NHKスペシャルの「宇宙 未知への大紀行」っていう番組が大好きで、その番組の音楽をやっていたのが東儀秀樹だったんです。なんの先入感もなしに、あの番組の音楽好きだなーって感じで…

 

――音楽を初めて買ったのが音源ダウンロードっていうのは世代の違いを感じますね。僕たちは初めて買ったのはCDですし、高校の時の話をするとRelax読んでたよね、みたいな話になるんですが、そういうのは一切ないんですか。

 

:僕の場合、雑誌がテキストサイトに置き換わっているんですよね「僕の見た秩序。」とか盛り上がってました。あと、フラッシュの話もよく出ますね。今の小学生がYouTuberにハマってるみたいな感じで、僕の小学生の頃はクソフラが流行っていました。

 

――クソフラ?

 

:クソみたいなフラッシュ動画です。アスキーアートのやつとかハゲの歌とか、そういうのが僕の世代にめっちゃヒットしてるんですよ。

 

――YouTubeよりも前の世代ということですね。ニコニコ動画やVimeoもまだなかったですか。

 

:ニコ動は中学2年くらいから流行ってきてはいましたね。Vimeoはもっと後です。でも逆に、僕は雑誌やCDに原体験がないので、その曲がどういうシーンでどういう文脈の中にあるのかということを知らないまま大学まで音楽を聴いちゃってたんですよね。もともとミュージックビデオは好きだったので「ヤバい MV」で検索していて、そうしたらAutechreやAphex Twinのやつとかが引っかかって、大学までIDMという言葉も一切知らずに聴いてたりしました。

 

――僕たちは、例えばrockin’onみたいな音楽雑誌の「今年出たアルバム100選」みたいなのを読んで、上位に入っている全然知らないクラブミュージックのアルバムを知ったら、近くのレンタルショップやCDショップに行って探すみたいな感じでしたね。目当てのCDが見つからなかった時は、これがクラブミュージックだったらいいな、って感じでそれっぽいCDを適当にジャケ買いしたりしてました。今、たまたま音楽の話になりましたけど、ものの入り方がぜんぜん違うな、と思いました。僕たちが最先端なものやかっこいいものを見つけるのは、テレビでチャンネルを切り替えて見る、という感じだったので、麦さんは自分で探して見つける、という感じですよね。僕たちは「あ、今のもう一回見たい!」と思っても見られなかったりしましたからね。

 

:でも、東儀秀樹を好きになったのはテレビですし、それ以外にもAppleが大好きだったので、タイアップ曲はとりあえず片っ端からチェックしてました。