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鈴木卓爾×小田篤×川口陽一よもやま鼎談――『ジョギング渡り鳥』の監督×キャスト×音響が語る、音と映画と自意識について

「音楽のできないパンクスたちみたいな感じがあった」(鈴木)

小田:例えば卓爾さんの『にじ』、あれは完全に自意識ですよね。

 

鈴木:そうです。

 

小田:そこから卓爾さんのいまの状態に至るまでというのは、なにがあったんですか?

 

鈴木:巡り巡って変わらない毎日を過ごして。僕は8mmで街で暴れて撮る人たちと知り合って、自分の悩んでるのを吐露するのが映画だって、「俺の未来はどこにあるんだ!」みたいなことを叫びながら走ったりするのがかっこよいもんだという認識とインプットがありまして。でもそれ誤解なんだけど。「お前ねえ」って言われるけど、やっぱり、音楽のできないパンクスたちみたいな感じがあった。でもさ、パンクスだってもうそうじゃないじゃない。なんかどこかで自己愛というか。それとブルースとの違いってなんだろうって。昨日古澤健が言ってたけど、それこそ映画っていうのは「女の子を綺麗に撮るのが仕事なんだよ」とかね。勘違いしてたんですよ、20年近く。

 

小田:卓爾さんはあの『にじ』をやることとか…周りの方々がそういう風に「俺の悩みを」みたいな、自意識とガチで向き合ってるよねみたいな…

 

鈴木:気持ち悪い話だ(笑)

 

小田:それを経ないとちょっと行けないところはあるよなあと、卓爾さんと出会ってここまでくるなかで思いますよ。

 

鈴木:さすがにオナニーしてるところは使わなかったけど。

 

川口:撮ったんですか?

 

鈴木:朝、実家のまわりの人んちの廃墟に入って行って、パジャマでうろうろしてたの。エロ本持って行ってオナニーしてるの撮ったんです。でも、おもしろくないんだよね。おもしろいわけがないんだよ。どんなにそういうこと撮っても、結局理由が無いんだよ。自意識って理由じゃないんだよね。なにも映画を発生させるものがなくて、「あれ?」って思うわけ。先輩が撮ってる映画、もっと動いてるように撮れてるのに、わからないわけ。それで「わからない」「撮れてない」って編集で初めてわかる。「あ、なんにも面白くないんだ。っていうか繋げるものがない。こんなに撮ったのに」って。だから映画として繋げていくと、やっぱりちゃんと頭で考えて、誰かが動いたり変わっていったり関係性でなにか一線超えたり、そういうドラマがないとつまらないんだって唖然とした。音楽やってても、ブライアン・イーノとデヴィッド・ボウイって仲良いけど、いわゆるロックスターみたいな自己肯定する人と、そうではなくてどんどん音の宇宙に行くというか、お坊さんのような探求心でやる人っていうのはあるよね。

 

小田:ありますね。

 

鈴木:ブライアン・イーノって、最初の頃はお化粧して長髪で、自分でキーボード弾いて「えあ~(甲高い声)」って歌ってたんですよ。でもね、ある時パタッと、五十何分一曲の『サーズデイ・アフターヌーン』っていうループミュージックを作るんですよね。いまは環境音楽って言葉で呼ばれてますけど。すごい自意識の塊みたいに見えつつ最初からからっぽというか…でも『にじ』を撮ったのは、ああやってカメラを通して外側の世界を意識できるじゃないですか。朝、霧の中を散歩に来たおじいちゃんと孫とか、パジャマ着てる教授とか、若者とか、撮れるっていうのはあったもんだから、それは良かったとは思ってますけど。いま『にじ』観ても、ちょっと恥ずかしくてたまらないんですよね。

 

川口:もう『にじ』にありますもんね、『ジョギング渡り鳥』が。

 

小田:そうですね、ほんとに。

 

川口:これ処女作じゃないけど、音もそうですもん。同録のシンクロの音も、カメラが回ってる音も、マイク向けて撮ってるし。風聴いてても。ああいう感じは『ジョギング渡り鳥』仕上げてから観て、愕然とではないですけど、「ああ、知らない間に似たようなことになってる」って。こちらは整えていくのが仕上げだから、ノイズは切って台詞は聞こえやすくしてっていうのが普通だけど、最初に作業始めたときに「ノイズ切らないでね」と言われましたから、それはよく覚えてます。

 

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鈴木:撮影隊でどこか行った時に、偶然録れてしまうノイズをNGとしないってことですよね。意外に深谷って、僕ら撮影隊が「それもありだ」って思っていくコンディションと、「それがあったら録りきれない」「それがあったらNGだ」っていうコンディションで行くのとでは、街のほうの受け入れ方が違うはずなんですよ。それは絶対そうなんです。『私は猫ストーカー』の時もそうだったけど、こっちはお邪魔してるんであって、人止めないね。あと、あんまり大勢で現場を囲い込まない。成りを街に合わせていくって風になっていくんですね。そうするとね、撮れるようになる、撮れるんじゃないかと思ってくるんです。

 

川口:その考え方すると、すごい楽ですね。現場は良くも悪くもピリピリしちゃうじゃないですか。はるか遠くのあの音が気になってとかあるんですけど、それをいったん受け入れられるようになりますよね、そういう心構えの現場だと。

 

鈴木:まあでも、危険というか。

 

川口:うん、危険ですよね。

 

鈴木:僕だってずいぶんイラついてたとは思うし、みんなカメラが回ってないときのほうがリラックスしてるからいい顔してて、それにまたイライラ(笑)でも動物だってさ、撮影現場に連れてこられたら嫌じゃないですか。死んじゃいますよ。どっかに行くっていうこと自体無茶だったりするんだよなあと。人間は新幹線で何百キロってすぐに移動してしまうけど、猫とかから考えたらとんでもない話で。もし目には見えない、でもその土地と結びついてる、科学的には証明されてないへその緒みたいなものがあったとしたら、ずっと何百キロも旅してたら伸びてくるじゃないですか。切れないかどうかっていう…それは大変なことだなと思うんですよね。東京はコンクリートでバンって蓋をしてるけど、土の中に呼吸ができないようにしてるけど、人のいない山の中とか呼吸のできるところによそ者が行ったら、やっぱり怖いですよね。文明が作った映画っていうのは、そういうの撮らしてくれ、録音させてくれっていう態度なんで、ほんとは怖いことやってるんじゃないかなって思っちゃう。

 

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小田:さっき中川さんの話であったように、やっぱり映画を作るって、どっかで狂気に入っていかなきゃいけないもんじゃないですか。

 

鈴木:うん。

 

小田:その狂気に入っていくのに、どこまでの範囲なら周りのなにかと一緒にやれるのかっていうバランスですよね。

 

鈴木:無茶しなきゃいいっていうか。パジャマ着てうろうろしてたのは、自分の地元だからできたとも言えるわけですよ。ほんとにエジプトとかアフガンとか行ってたら、どうなるだろ。

 

小田:殺されますよ(苦笑)

 

鈴木:狂気ね。でも、ものすごい集中してたら人ってそっちに行っちゃうけど、本隊の中に「いや、そっち行ったら危ないよ。ちゃんと帰ろうよ。メシ食おうよ」って言ってくれる人がいるっていうのはすごく強いことで。みんながみんなそっち行っちゃったらほんと宗教みたいだから。それはちょっとやばいっていうか、やめましょうね。

 

小田:そういう危険なことはやめましょう。

 

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鈴木:もし次回があるんだったら、テクノバンドとか、全然違うことやったほうがいいですよ。全部コントロールして撮る。

 

小田:急にそっちなのって(笑)では、今回の「珍蔵のオールナイトスッポン」特別編、これにてお開きということで。またどこかでお会いしましょう。

 

※鈴木卓爾監督『楽隊のうさぎ』公開時のインタビューはこちら

 

 

 

●Information

鈴木卓爾監督作『ジョギング渡り鳥』

 

2016年4月15日(金)まで、新宿K’s cinemaにて絶賛上映中!

大阪第七藝術劇場、京都みなみ会館、神戸映画資料館、松本CINEMAセレクトにて公開決定!

 

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