icon 2013.5.5

荻世いをら glasshouse journal 第2回

 十年近く暮らした東京を離れ、名古屋市の外れに住んでいる。震災直後に生まれた息子が三月で二歳になり、この春から近所の保育園に通い始めた。

 出だしからまさしくそうだったけれども、育児というのは選択の連続だと未だによく思わされる。どこに住むのか、何を食べさせるのか、どんな教育を与えるのか、どの母語を持たせるのか、それこそどんな親を持たせるのか、どんな名前をつけるのか。本人にとってもそれが思いやりなのか呪いなのかはどこまでも不分明なものに違いない。毎日、何を与え、何を与えぬべきなのか、いわばどんな温室を選ぶべきなのか、考えている。そして、そうしているとおのずと、自分自身の所属する温室も逆照射されていることに気づく。国家、法、民族、歴史、性、身体、教育、言語……さまざまな透明のあらゆる温室。温室から温室へ、行ったり来たりしている自分が思わぬ瞬間に垣間見えてくる。見えない速度で絶えず反復横とびを繰り返している。この温室「から」温室へ、の「から」を、小説を書くのとはまた違った角度で、一歩外に逸れた位置から眺めていくコラムに出来ればな、と思う。

 


 

 桜がまだ残っていた四月の半ば、風の強い日に一人郊外へ出かけた。用事を済ませた後、帰宅するために来たときと同じ地下鉄へ向かうと、駅の脇にリニアモーターカーの駅があることに気がついた。行き先は市外で、日も暮れそうだったし、家とは全く違う方向だったけれども、言うまでもなく憧れのリニアモーターカーである。結局、うっかり乗ってしまった。

 しかし実際のところ、幼稚園の図録か何かではじめて見たリニアモーターカーの形状とそれは全くもって違っていて、東京で毎日乗っていた地下鉄とあんがい変わらぬ姿であった。その通称リニモは、愛知万博で披露された後も一時間に六、七本のダイヤで運行され、通勤通学の足として利用されていた。観光目的で乗っているのは見るからに自分だけだった。

 走行音は予想を裏切って無音というわけでもなく、走りはじめの大江戸線の音によく似ていた。走行中の揺れ方も同じく、あの地中深くを走る車輌のきしりが自然と重なって体感された。だからかむしろ逆に、いつか東京での日常の倦怠を委ねていた大江戸線というのが、急にリニアモーターカーのような、思ったよりも新しい乗り物として現れてはじめてそれに乗ったような気分にさえなっているのだった。

 いったい、リニアモーターカーを夢見ていた少年の自分は、いつかそれに乗りおおせた際に、あの大江戸線をはじめて見つけることになるなどと思っただろうか。温室から温室へ。大江戸線からリニアモーターカーへ。あるいはリニアモーターカーから大江戸線へ。リニアモーターカーの乗客はみな、いつかの地下鉄と同じ通勤通学にやつれた顔でみな押し黙っていた。立ったまま、興味深そうに車輌の色々を確認しているのは自分だけで、それから、何駅か過ぎた後になって急に、その日が自分の二十代最後の日だということに気がついた。車輌の最後尾に行くと、運転席はなく、大きな窓だけがあった。枕木のない滑らかなレールが向こうへ延びていくのを眺めていると、二十代という時間が特別な起伏を乗り越える必要もなく真っ平らのまま遠ざかっていくように見えた。たぶんこんな風に未来は、既に使い古された日常の形で、音もなく自分を乗せて走っている後なのだろう。

 それで、そう言えば、今思い返してみると、リニアモーターカーはとても浮いているようには感じられなかった。だがしかし僕は「浮いていない」とも思っていなかったはずなのだ、かつて自分の乗り込んだ電車のそのどれもにおいて。

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●Profile

荻世アー写荻世いをら

1983年生まれ。小説家

(文中写真:Iwora Ogiyo、著者近影:Mayu Murase)