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glasshouse journal 第3回「明日も見てくれるかな?」――小説家・荻世いをらの綴る日常と景色

glasshouse journal 第3回

「明日も見てくれるかな?」

荻世いをら

 

 近所の田んぼに行って、桜の樹の下に車を停めていたら、一年前にあった「笑っていいとも」の最終回の日にもそこにいたことを思い出した。もうさすがに「いいとも」のない世界にも慣れた。別にほとんど見ていなかったけれども。でもそれは当時では信じられなかったことだ。以下、その日の手記。

 


 

 近所の田んぼ脇に並ぶ、満開の桜の下に車を停めてチーズバーガーを食べていたら、「笑っていいとも」の最終回の日だということを思い出して、慌ててカーナビの画面で8ちゃんをつけるともう12時55分だった。

 画面は既に大団円の様相で、紙吹雪が舞っていて、その真ん中にタモリがいた。沢山の人に慕われているのだなーという感じ。

 それを見ていたらなんだか、婚約者を紹介しに静岡の実家へ行ったときのことを思い出した。

 六年ぐらい前の春のよく晴れた日のことで、夕方になる前にはもう実家を出て、東京に戻るべく駅へと向かった。平日の微妙な時間だったし、もともとそれほど人が使う駅でもなかったから、新幹線口は閑散としているというか、人っ子一人いなかった。そんなんだから自動改札機で切符を買って、それから振り返ったときに、さっきはいなかったスプリングコートの男が一人、いつのまにか真後ろに立っていたのでびっくりした。よく見ると、身なりのきちんとした人で、小柄で、さらによく見ると、もの凄く目つきの鋭い男で、しかもタモリだった。

 素顔の写真を見た事があったからなのか、「笑っていいとも」でのサングラスを透過して見えるその目をすっかり覚えてしまっていたからなのかわからないが、素顔でもその人があの人であることがよくわかった。

 思い出す彼の顔と言えば、おなじみのサングラス姿だが、しかし実際のところ自分はその一方で、彼を思い出すときには知らず知らずのうちにずっと彼の素顔をも思い出していたということだろうか?

 出演者に囲まれたタモリの映る液晶画面に、八部咲きの桜の影がまだ冷たい風に揺れていた。「青汁~、青汁~飲め~、青汁~♪」が、同番組における一番覚えている思い出だと、突然の質問にタモリは答えていたが、自分としてもまさにその頃の「いいとも」は、永遠に続く日常の象徴として極まれりし頃だったように思う。

 数十年前から巨大地震が来ると言われて育った静岡県民は、来そうでずっと来ないのじゃないかと思い募った頃であり、少なくとも自分にとっては、周りの誰もが死にそうで永遠に死なないのではないかという感じが極まったときでもあり、つまり日常がもっとも幸せな夢を見れていた頃なんじゃないだろうか。永遠に今日が、何も変わらない明日の前日であり続けるような日々。「明日も見てくれるかな?」と訊かれ続ける日々。

 いつからか自分は、十年という期間が不思議なくくり方だなと思うようになっていた。七年や八年ではほとんど何も変わらないけれども、十年だと何もかもがすべて変わってしまうように思う。十年前は誰も死なない気がしていたし、そうでもない十年後の今は、みんな大昔からずっと死んでいたんじゃないかとすら感じている。

 婚約者と二人で、突然のタモリの出現にあっけに取られ、二人して、だが実際にはそれぞれたった一人でその場にいるような押し黙り方で、じっと彼を見詰め続けていた。彼は彼で、目の前の二人以外、構内に誰もおらぬ状況のもたらす妙な間に気を取られていたのか、やはりじっとこちらを眺めたまま変な時間の中にいた。それからようやく我に返ると、若い夫婦の浴びせかけてくる無遠慮な視線に気づいた彼は、いかにも著名人らしい方法で、自身の有名を伏せるべく素顔を覆って人目を避けたのだった。つまり、どういうわけか、いつものあの「日常」を演出してきたサングラスをかけることによってである。

 あるいは日常とは、カムフラージュなのかもしれない。人生から自らを匿う隠れ蓑としての。

(2014年3月31日)

 

※glasshouse journal 第4回「マスクする人々」はこちら

 

 

 

●Profile

荻世アー写荻世いをら

1983年生まれ。小説家。

Photo:Maya Murase