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足立正生(映画監督)と阿佐谷隆輔(脚本家)の対話「想念をつかって、頭蓋骨の中で生きている永山則夫になってみろ!」◆『花火思想』をめぐって

その日、足立正生監督のお宅へ向かう途上、雪が風に乗ってひらひらと舞い始めた。こういうのを風花と言ったよね、と足立監督。降る雪を窓の外にみながら、炬燵を囲んで、長いがゆえに、あまりに短すぎる一夜がはじまった。

6歳で初めて酒を飲み、12歳で初めて酒を美味いと思ったという足立監督のすすめてくださる美酒を口にしながらの歓談。ときに究極の芋焼酎に酔い、パレスチナ産白葡萄酒にまどろみ、アブサンに昇天し。

いや、そんな厚いおもてなしをいただきながら、われわれはへべれけつづけていたわけではなかった。そこで交わされた真摯な対話を、ここにお届けしたい。

1986年生まれで今年、初脚本作『花火思想』(監督・大木萠)が公開されたばかりの阿佐谷隆輔が、緊張しながら慎重に問いを放ち、1939年生まれの足立正生監督が真摯に答え、挑発する。

阿佐谷脚本家、そして大木監督が足立監督の存在を知ったのは、昨年(2013年)末のさる映画の上映後打ち上げ会場で、だったという(彼らは「本当に、恥ずかしながら、それまでは、存じ上げず……」ともらす)。その場所に、そわそわとした空気が広がっていて、空気の中心を目でさぐると、ただならぬ雰囲気を放つひとりの人物をみつけた。即座にスマートフォンでWikipediaを引き、その経歴に驚愕、おそるおそる試写会の日時を知らせた。

『花火思想』は、バンド活動を辞めてホームレスの生活に惹かれてゆくひとりの青年の彷徨を描いた青春映画だ。2013年末にこの映画の試写を観た足立正生監督は、劇場でのトーク出演を快諾。ここに、日大新映研から若松(孝二)プロでの映画製作に進み、大島渚監督らの映画に脚本などで協力、やがてパレスチナへ赴いたこの伝説的な監督・脚本家と、若いインディペンデント映画作家達とのつながりが生まれた。

足立監督は、すでに劇場で『花火思想』の監督、大木萠と対話をすませ、熱いコメントを捧げている。

そして、この雪の日、こんどは脚本家・阿佐谷隆輔との対話が実現した。出会いを、更に強烈なものとすべく、いくつもの言葉が交わされた。(2014年3月9日収録、構成/寺岡裕治、協力/切通理作、大木萠)

 

 

自分の箱の中から出ていって、もっと開かれた映画を作ってほしい

阿佐谷隆輔(以下、阿佐谷):『花火思想』を足立正生監督に観ていただいただけでもぼくにとっては驚くべきことなんですが、さらに今年、2月1日に渋谷ユーロスペースでの上映後トークにまで登壇いただいて……そのとき、『花火思想』の後半で岡林信康さんの「私たちの望むものは」という1970年にレコード発売された曲(★1)を流したのに対して「自分の歌をうたえ!」という言葉をもらいました。それは、ぼくにとって事件だったんです。まったく頭になかったんです。ガーン、となって。あの日から、なぜあの曲を流したのか、毎日考え、大木監督とも熱論を交わしました。今の時代は、行き詰まった時代だと思うんですよ。その中で自分たちの歌をうたう重要性もあるとは思うんですが、当時、岡林さんは、明らかに学生運動をしている全共闘の方々に向けて歌っていたと思うんですよ。その運動をしているひとたちに向けたものが、今、この行き詰まった時代では、違う意味で浮き上がってくるのかなあと思うんです。また、ぼくだったり、大木監督の、物分かりの良い同世代の人間に対する単純な怒りが出ているのかもしれません。「お前ら、この歌、聴けよ!」って。

 

足立正生(以下、足立):弁解している(笑)。その時代と共通項をみつけたことはよろしいと言っているわけですよ。お客さんも喜ぶわけでしょう。でも、だからって何だ!?っていう、それを考えて欲しい。あの歌に寄りかかったり、逃げ込んだりしないで、と言っているんですね。そして、『花火思想』の主人公、バンドをやってきた彼が表現者になってヘタクソな自分自身の歌を歌わなきゃいけないと思うんだよね。若い人の作った映画をたくさん観てまわったけど、全部つまらない。自分のポケットや、自分の箱の中で作っている映画ばかりなので、それは違うでしょう、と考えてしまう。せっかく映画を撮るんだから、自分の箱の中から出ていって、もっと開かれた映画を作ってほしい、と思うんです。

 

 

阿佐谷:どうして足立監督にトークにまで出てもらえたのかを自分なりに考えてみたんです。「映画芸術」誌の増刊号「足立正生零年」を読んでいたら『避妊革命』について社会学者の宮台真司さんが足立映画のモチーフを抽出する文章を書かれていたんです。「①『ここではないどこか』がありえないという不全感に満ちた世界を②性と暴力で切り裂こうとするが③結局はここにもどってしまう」と。こういう部分が、もしかしたら足立さんの作品と『花火思想』の通じているところなのかな……と思ったんです。

 

足立:ぼくはもうあなたのように若くはないから、「ここ」を切り裂いた向こう側に「ここではないどこか」ということはあまり起こりえない。そして、今は、どこに行っても「ここ」しかない、と思っている。そこで、『花火思想』について言うと、あの映画の主人公にぼくは永山則夫(★2)をかぶせて観ていたんです。つまり、永山は「自分ではない何者か」になることができないからずっと放浪をしつづけた。覚悟を決めてやくざになるわけでもないし、強盗をできるわけでもなく、たまたまやるのは窃盗ぐらい。麻薬に手を出すこともできない。非常に真面目で控えめな男なんです。それは『花火思想』の主人公にそっくりなの。次々と転職し、放浪を繰り返すけれども、どこにも行けない。それは、自分の殻を破れないわけではなくて、彼にとっての「ここではないどこか」が失われているわけ。

 

阿佐谷:実は次は永山則夫をモチーフに脚本を書いて映画を作りたいと思っていたので、足立監督の今の指摘にびっくりしました。

 

足立:永山は北海道網走市呼人番外地の飢餓共和国を生きてきたわけでしょう。8人兄弟の7番目の四男で、母親に逃げられ、母親代わりだったお姉さんも精神病院に入って。食うや食わずで這いずり回って生きてきた。そこに彼の家族や社会や人間関係の原型がある。その呼人番外地が、いわゆる故郷です。その故郷に、彼がもういちど戻ってきたくなる原点になりうるかといえば、餓死寸前の貧困の記憶が澱のように溜まっていて、帰りたい故郷にはならない。だけれども、その一方で、ありもしない想念の中の故郷を追い求めて行く。永山は、そういう状況の中で行動をしている。『花火思想』の主人公は、バンドをやりたいのか。恋人と愛の世界を生きたいのか。「いや、なんか全部、違う」っていうのがあるわけでしょう。それは「ここではないどこか」へ行きたいのではなくて「ここ」があるはずなのに、どこに行っても「ここ」がない、という問題なんだよね。だから、いつも論争するけど、宮台さんは美しく言い過ぎている。「ここ」と「ここではないどこか」の構造ということでいえば、ぼくは民族主義者でも民俗学を研究していたわけではないけれど、日本の共同体のなりたち、日本人の原像としての「内側からのエキゾチシズム」が昔から気になっていました。村に属せない人達を村八分的に追い出し省かれていって、省かれた者達は村の外縁に生きるしかないし、更には遠くへ逃亡するしかない。省かれて、はみだした人達は、本当は村へ帰りたい。しかし、その一方で、村の内側にいる人達は、外側から来る人たちに恐怖を感じながらも、自分達のもっと古くから何処かに在った「憧れの故郷」からのメッセージを持ってきているんではないかと思う。これは村の話だけど、それが入れ子構造になっているのが世界の基本構造だと考えていて、その外れの人との出会いを映画で描いてみたいと思ったりする。