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icon 2013.5.6

石原正晴(SuiseiNoboAz)コラム◆SXSW道中記

SXSW道中記、特にSnackbarのこと。

石原正晴

 

三月の中旬の頃、我々SuiseiNoboAzは、アメリカ、テキサスで開かれたフェス、SXSWに参加してきた。

 

日本でも、これまでにいくつかの日本人バンドが出演していることもあり、ご存知の方も多いとは思うけれど、SXSWとは、テキサス州オースティンで開催される一大音楽見本市であり、街全体を挙げての音楽フェスティバルだ。

SXSWはどちらかというと、見本市/ショウケースの意味合いが強いように思う。全米中、全世界中から様々なバンドが集まり、フェスの期間中、街中至る所で開催されている公式、非公式のイベント(それこそカフェや本屋、民家の庭に至るまで)に出演し、腕前をアッピールする、というわけだ。

SXSW自体のそういった性格もあり、日本で知られている印象より、若いインディペンデントなバンドがかなり多いようだった。

 

ショウケースという性格上、当然、旅費、滞在費は基本的にメンバー、スタッフの自腹になる。現地スタッフとのメール連絡から、ビザ関係の事務作業やアメリカの弁護士との遣り取り(これが死ぬほどめんどくさい!)、公式以外のライブのブッキング、アンプやドラムキットの手配(アメリカのライブハウスには基本的に機材は無い)、レンタカーの手配、ホテルの予約まで自分たちでやらなければならない。はっきり言って、日本だろうがアメリカだろうが、よほど恵まれたバンドでない限りそんなことは当然のことではあるけども、海外旅行すらしたことのない我々には少し難儀ではあった。はっきり言って相当めんどくさかった。

 

このあたりの情報が気になっている若いインディペンデントなミュージシャンの方も多いとは思うが、この道中記ではそのあたりは書かない。なぜか。読んでもつまんないし、書くのめんどくさいから。それに、一度やってみれば意外となんてことないから(特に、詳しくは割愛するが今年からはビザに関する金銭面、事務作業面での負担が大幅に軽減されたように思う。来年またどうなるかはわからないけど、少なくとも我々は去年までの参加者よりは負担は少なかった)。こんな我々にもできたのだから、皆さんにもできると思う。

 

また、渡航の全日程、出演したすべてのパーティー(実に五日間で六本!)について書くにも当然紙幅が足りない。上記のように我々はほぼ全員が海外旅行初心者で、見るものすべてが新鮮な驚きに満ちていたけれど、そんなジョン万次郎のブートレグみたいなものは皆さんには退屈だろうし、自分も書くのはちょっと恥ずかしい。もちろん出演させて頂いたイベントはどれも素晴らしく、新しい友人との出会い、愉快な思い出はたくさんあったし、オースティンで出会ったすべての人たちに感謝しかないのだが、今回は、すべては書かない。ていうか、書けない。そもそも、800字で道中記なんてそもそも無茶なんだということを、当紙面編集担当の方はどうかご認識いただきたい!

 

今回は、Snackbarという、小さなレストランの駐車場で開かれたイベントに出演したときのことを書こうと思う。

 

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オースティン滞在三日目、我々は、元Silver Scooter、今はSan Saba Countyというバンドで活動しているトム、テイラー、そしてトムの奥さんであるコリーの主催するパーティーで演奏するため、午前中に宿を出発した。会場であるSnackbarは、オースティンのダウンタウンから、メインストリートのサウスコングレス通りを南下し、川を渡ってすぐのところにある、洒落たカフェ風のレストランだった。まだ午前中だというのに、店内はお客で賑わっており、サウスコングレス通りは古着などを売る露店が立ち並び、往来する家族連れや若いカップルで溢れていた。SXSWの公式のショウケースは夜八時から始まるのだが、昼間から、オースティンの中心部はすっかり盛り上がっていた。音楽が生活に根ざしているということなのだろう、音楽フェスというよりは、まるで大規模な縁日か花火大会のようだった。

 

店の前に車をつけると、駐車場にはカラフルな特設ステージが設けられており、天気が良かったこともあり、ことさらハッピーな感じだった。PAブースで作業をしていた男性は我々を認めると、笑顔で我々の方に歩いてきた。彼が主催のトムだった。テイラーやコリーも姿を見せ、我々はお互いに自己紹介をすると、さっそくビールで乾杯した。彼らはまるで、昔からの友人のように我々を迎えてくれた。

 

車を移動し、早速演奏の準備に取りかかっていた我々に、トムとコリーがにこにこしながら紙袋を手渡してきた。どうやらお土産を用意してくれていたらしい。中には『TEXAS』と書かれた野球帽が三つ入っていた。我々はその野球帽を多いに気に入り、その日はそれを被って演奏することに決めた。

機材をセッティングしていると、テイラーが二台用意されたフェンダーのギターアンプを指差し、どちらを使うか?と聞いてきた。もちろん二台とも使うよ、と伝えると、「オウ!そいつは最高にラウドになるね!」と嬉しそうに言った。彼の予言通り、自分のギターの音は死ぬほどでかく、サウンドチェックでファズを踏むたびに、通り中にとてつもない爆音のギターが響き渡り、なんだなんだ、といった感じで面白いように観客が増えていった。自分は英語がよくわからないので確かなことはわからないが、みな口々に「あの甘く吠えるような美しいノイズを発している楽器は一体何?」「ジーザス、あれがギターの音だっていうの?まるで太古の竜のよう」「まるで純粋な暴力的存在が天使のラッパを奪って宇宙の始まりを鮮やかに彩色しているようだわ…そして祝福が」などとアシッドなことをささやき合っているようだった。少しギターがでかすぎる気もしたが、そのままの音量でやることにした。

 

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演奏を始めると、ありがたいことに聴衆の数はさらに増えていった。特に嬉しかったのが、3、4歳くらいの子供たちがはしゃぎ回り、70代くらいの老夫婦が手をつないで踊り、様々な年代の人たちが、思い思いに我々の演奏を楽しんでくれたことだった。また、つたない英語を面白がってくれたのか、自分がなにか話すと、みな親切に笑顔で反応してくれた(我々の曲で、歌詞にピザが出てくる曲があるのだけど、古着を売っていたおじさんが、我々がめちゃくちゃピザが好きなバンドだと思ったらしく、演奏が終わったあとに、にこにこしながらおすすめのピザ屋を教えてくれた)。そのおかげもあり、我々の演奏も冴え渡り、曲を終える度にハッピーな歓声が響いた。気温はぐんぐん上がっていき、空は真っ青に晴れていて、雲一つない天気だった。サングラスをしなければ手元が見えないほどで、野球帽が多いに役に立った。

 

セットリストの最後の曲は、『Happy1982』だった。自分は観客に感謝の意を述べて、この曲を、バースデイソングみたいなもの、と説明して、演奏を始めた。もちろん我々の曲は日本語で歌われるわけだが、みな熱心に曲を聴いてくれているようだった。

 

曲が佳境にさしかかると、観客はいよいよ盛り上がり、感極まった自分はギターを放り投げると、愛用のテープエコーを肩に担ぎ上げ、回路を発振させてスプリングリバーブを拳骨でぶん殴り、地獄のようなノイズを発生させた。すると、客席の最前列、奥さんとふたりで座って聴いていたひとりの男性が、突然飛び上がるようにしてステージに向かって駆け寄ってきて、自分に抱きついてきた。自分は何が起こっているのかよくわからないまま、彼と抱き合ったまま、ひとまず踊った。テープエコーを左手に担いでいたため、我々はチークダンスをするような妙な格好になり、それを見て客席に笑い声が溢れた。溝渕さんとのりおも笑っていた。彼が自分に何か言いたそうだったので、耳を近づけて聞いてみると、彼は、驚くべきことに「今日はぼくの誕生日なんだ!!!」と言った。それを聞いた自分は「オウ、リアリー?」と言い、転がっていたマイクを拾い上げると、聴衆に向かって「今日は彼の誕生日らしいぞ!」と告げた。駐車場からサウスコングレス通りまで溢れた聴衆が、大歓声を上げて彼の誕生日を祝福した。

 

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