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icon 2014.2.15

やまだないと(漫画家)×斎藤久志(映画監督・脚本家)トークショー完全採録◆『なにもこわいことはない』公開によせて

子どもを生まないと決めた30代の夫婦の日常を微細かつ静かに描き出した映画『なにもこわいことはない』が、新宿K’s cinemaでの公開を経て、いま全国に反響が拡がっている。監督の斎藤久志は、劇場デビュー作『フレンチドレッシング』(97年)を映画化する以前から、やまだないと漫画のファン。『なにもこわいことはない』の制作にあたり、映画のイメージとして脚本家に伝えたのが、漫画「西荻夫婦」だった。斎藤監督の熱烈なオファーで17年ぶりに再会したやまだないとさんとのお話は、作品を通して「なにを見ているのか」という根源的なところにまで至る。2月15日(土)から渋谷UPLINKでの『なにもこわいことはない』と幻の作品『スーパーローテーション』の上映に合わせ、やまだないとファンも必読の貴重なトークを採録する!(取材・文/黒澤喜太郎)

 

 

「普段『言わないことは言わないよな』って思って見てました」(やまだ)

斎藤久志(以下、斎藤):今日はありがとうございます。『フレンチドレッシング』の試写以来ですよね。

 

やまだないと(以下、やまだ):そうですね。本当にお久しぶりです。

 

斎藤:ブログ(*1)に書いて頂きましたけど、この映画をどう思われたかお話いただけますか。

 

やまだ:加瀬さんの脚本が面白いですね。この映画の前に監督が加瀬さんの脚本で撮られた『スーパーローテーション』を見た時にもそう思ったんだけど、普段言わないことは言わないよなって。漫画は読んでもらわなきゃいけないから、言わないことをつい書いちゃうんですよね。

 

斎藤:僕も脚本書く時、どうしてもかっこいい台詞とか、書きたくなるんですね。でも、そういうのは一切やめようよと、日常会話だけで成立させようと、加瀬と話して脚本を作りました。『スーパーローテーション』の時は、『なにもこわいことはない』と違っていっぱい喋ってますけど、ほとんど意味のない会話のつらなりですよね。意味を喋らない、ということがテーマでしたね。

 

やまだ:あれって学生さんと撮った映画ですよね?

 

斎藤:日本映画学校・俳優科の卒業制作の映画で、出演者は一部の除き俳優科の学生ですが、スタッフはプロです。この上映の流れでどこかでイベント上映しようと思っているんですが。

 

やまだ:いいですね。みなさんも見れると面白いと思います。

 

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斎藤:「西荻夫婦」を読み直してきたんですが。

 

やまだ:「西荻夫婦」を読んでいる方っていらっしゃいます?

 

斎藤:(客席に向かって)いらっしゃいますか?かなりいますね。漫画なのにラスト直前、文章になりますよね?単行本だけがああなっているんですか?

 

やまだ:そうですね、連載時はないです。

 

斎藤:あれが入っていることで最後響くんですよね。あれを加えたのはなぜですか?

 

やまだ:連載している時は、ひとつひとつのエピソードを毎月18ページくらいで描いていたんで、それしか読まなくても何かを分かるようにしたんだと思う。でもコミックスにする時って、本が1冊の映画だと思っているんで、最後のあれは、たぶん映画にした時の「ナレーション」じゃないかなって思って。

 

斎藤:ナレーションのつもりですか。

 

やまだ:そうそう。

 

斎藤:話法の問題でいうと、旦那さんのエピソードが独立して存在していますけど、ほとんど奥さんの主観ですよね。主観の声みたいなものが、奥さんが見ていないであろうシーンにかぶってきたりしています。あれは奥さんが想像しているということなのか、あるいは奥さんはそういうふうに思っていて、一方旦那はこうなんだという現実の表現なんですか?すごく映画的な表現のされ方をしていると感じたんです。

 

やまだ:どっちなのかなあ。両方というか、出てくるみんなの目線を持てるから同時に描いたのかもしれないけれど、でも通しては奥さんの頭の中で思っていることで、あそこまでしか想像ができないのかもしれないし。

 

斎藤:どっちにもとれる感じがするんですよね。

 

やまだ:漫画って、どっちからでも描けちゃうんですよね。あれ映画でやると、絶対ダメじゃないですか。

 

斎藤:神の視点というか、完全客観話法にする映画もあると思うんですよ。『なにもこわいことはない』は、ほぼ主観というか、恵理が出てないシーンは、本編上で旦那がマスタードを買いに行くところワンシーンだけなんです。そこ以外は、彼女が全部存在している。加瀬が書く脚本はそういう作り方をするんですね。彼女の主観になっているという特色がある。近年、一人の主観で突っ走っていく映画って減ってきている気がするんです。物理的な問題でその俳優さんを拘束出来ないのかもしれないですけど、客観的に表現するということがかっこいい、というと変な言い方かもしれないですが、そのスタイルが主流になっている。