miwaka_ogawa_main
icon 2015.8.30

T.美川(非常階段、インキャパシタンツ)×小川晃一(おやすみホログラムプロデューサー)インタビュー――ノイズ、オルタナティヴ、アイドルを繋ぐ「エグフェス2」出演者に迫る

「まあ、要するになんでもいいんだな」(美川)

その後の非常階段、インキャパシタンツ等での美川の活躍については、あえてここで触れる必要はないだろう。話は美川の音楽生活のターニングポイントになった音盤に及んだ。

 

美川:影響を受けたレコードですか。まずオムニバス『Guitar Solos 3』です。これに収録されているFred Frithの楽曲「Alienated Industrial Seagulls etc.」が、もうまったくギターに聴こえないメチャクチャなノイズなんですよ。「こんなのでもいいのか」と思いましたね。次にJean Dubuffet『Musical Experiences』。この人はフランスの画家で、いわゆるアール・ブリュット(生の芸術)っていう芸術運動の先駆者的な人ですね。この人自体は楽器が全然できないんですよ。「それでもLP出しちゃうのか」と。この2枚は当時梅田の輸入盤屋でどっちも100円か200円で買った記憶があります。ちなみに後者はいま買うと5ケタみたいですけどね。L.A.F.M.S.のコンピレーション『Blorp Esette』にも感銘を受けましたね。これは梅田のLPコーナーで買ったんですが、そこの会長がロサンゼルスのレコード屋と親交があったみたいで、いらないものを大量に押し付けられてたみたいで、これとかThe Residentsの初期の作品とかありましたね。

 

――凄い(笑)

 

Fred Frith「Alienated Industrial Seagulls etc.」の音源

 

美川:それまで主にプログレを聴いていた僕がこういうのを聴いて強く感じたのは「まあ、要するになんでもいいんだな」ということで、それまでも演奏はしてたんですけど、人前でやるとか録音物を出すとか想像もしてなかったんで、この3枚との出会いは非常に大きかったし、この3枚があったから自分はいまみたいなことやってんだなっていつも思ってます。

 

――そんなノイズ、エクスペリメンタル・ミュージックの道を極めてきた美川さんの「アイドルとの出会い」について語っていただけますか?

 

美川:もともとアイドルというものをまったく知らなかったんですが、3年前に四谷OUTBREAK!で行われることになった「自家発電」っていうイベントの企画の人が非常階段を出すにはどうすればいいのって考えたときに、アイドルと一緒に出したらおもしろいんじゃないのって言い出したんです。それで当初はももクロに話を持っていこうとしたんですね。というのも、ももクロの実質的なマネージャーだった佐藤さんって人がかつてHMV渋谷のフロアマネージャーだったんですね。で、ご存じかもしれませんがHMV渋谷の閉店2日前に非常階段がフリーライブをやって、500人くらいお客さん来てくれたりって経緯があったんです。とはいえ「自家発電」の頃にはももクロはすでに大ブレイクしていてとても呼べないと(笑)そしたらTwitterで研究員(BiSのファン)が、じゃあBiSとやったらいいんじゃないのってつぶやいたのに広重さんが反応して、BiSと共演することになったんです。

 

――なるほど。

 

美川:最初はまあ「長いことやってるとこういうこともあるよね」って感じだったんですけど、それがまさかBiS階段っていうパーマネントなユニットになるとは思ってなくて、最初の「結成記念記者会見」も仕事帰りにDOMMUNEのスタジオに行ったんですけど、まだBiSのメンバーの顔と名前も一致しない状態でした。帰り際にCDいただいて聴いてから、さかのぼって彼女たちの作品を聴いてみまして…いや、ファースト・アルバム『Brand-new idol Society』は本当に名盤だと思います。

 

小川:ちなみに僕、BiSの中で一番好きな曲が「Hide out cut」なんですけど、BiS階段のバージョンが特に好きで原曲よりかっこよくなってますよね。

 

美川:(ボソッと)「ヒダカ」ってやつですね。

 

BiS「Hide out cut」のMV

 

――小川さんもそんなにアイドルは聴いてなかったそうで。

 

小川:そうですね。さっき話したような感じでアイドルはほとんど知らなくて、偶然ラジオで流れたでんぱ組.incに「あ、おもしろいな」って思って、ちょっと調べたらどうやらBiSっていうのがいるらしいと。それで何枚かCDを買って聴いてて、普通のリスナーとしての流れでBiS階段を聴いて、「わっ!これはおもしろそうだ」って強く思ったことは、自分でもアイドルのプロデュースをやってみようって決めた大きなきっかけになってます。

 

美川:おお、意外ですね。いや、でもBiSが解散した2014年の7月頃には、僕はもう一部の研究員の人たちとはだいぶ仲良くなってたんですけど、みんなが急に「おやホロがおもしろい!」って言い出したんですね。で、最初はメンバーがバタバタって辞めたりとかよくわからなくて、現場になかなか足を運ばないままだったんです。でもYouTubeで「ドリフター」とかは聴いてました。そうそう、昨年9月に渋谷WWWであったBiS階段の爆音上映イベントでプールイと非常階段で対談したんですけど、「もう広重さんは最近はゆるめるモ!ばっかりで!!」なんて突っかかってきて(笑)まあアイドルの話を振られたんで、僕は「いやいや、最近はおやすみホログラムっていうのがいいと思うよ」ってライブ観たこともないのに言っちゃいました。ええ、一部の研究員にはウケてましたよ。