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映画『ひ・き・こ 降臨』オールスター座談会――主演の秋月三佳と小宮一葉、監督の吉川久岳、脚本の宮崎大祐に聞く、新感覚ホラーができあがるまで

口裂け女、トイレの花子さん、メリーさん、テケテケ――。連綿と続く都市伝説のなかでも、とりわけ残忍で哀しい過去を持つ「ひきこさん」。昔いじめられていたのが原因で、自分をいじめたり馬鹿にしたりする人間を捕え、全身の皮が剥けて死ぬまで引きずり回すという異形の女である。そんな彼女をモチーフに、社会ひいては人間の闇に迫った新感覚ジャパニーズ・ホラー『ひ・き・こ 降臨』が完成した。

 

物語の舞台はとある地方都市。ゆかり、ニコ、紀里子の3人は、ゆかりがSNSで呼びかけた小学校の同窓会で10年ぶりに再会し、すぐさま意気投合。その昔いじめっ子グループに嫌な思いをさせられた3人は、悪事を働きつつも警察に捕まらずにいる人間をこらしめる復讐サイトを立ち上げる。正義の名のもとに行われる制裁、ネットを通じて過激に加速する暴力、次第に広がる恐怖と疑念。2人から距離を置くようになったゆかりは、ニコの身辺を調べ始める。するとニコという同級生は存在せず、代わりにニコによく似たひきこというクラスメイトがいたことを思い出すのだった――。

 

監督は前作『ひきこさんの惨劇』やモキュメンタリー『Not Found ネットから削除された禁断動画集』シリーズで注目を集める吉川久岳。脚本は、初監督作『夜が終わる場所』が数々の国際映画祭で評判を呼び、アジアの新鋭監督が集うオムニバス映画『5 to 9』の公開も控える宮崎大祐。主人公のゆかり役には小澤雅人監督の『風切羽』や、今年の東京国際映画祭で正式上映された西原孝至監督の『Starting Over』での演技も記憶に新しい、ブレイク必至の秋月三佳。その友人でダークな雰囲気を纏うニコ/ひきこ役には、今泉力哉監督の『こっぴどい猫』をはじめインディーズ映画界で引っ張りだこ、加えて新感覚アイドルの登竜門「ミスiD2015」のファイナリストに選ばれるなど多方面で活躍中の小宮一葉。同じくゆかりの友人・紀里子役には、現役女子大生にして本格派ヒューマンビートボクサー、園子温監督の『TOKYO TRIBE』でも鮮烈な印象を残したサイボーグかおり(園監督の新作の主演にも抜擢!)。ほか、園監督『希望の国』参加の御木茂則が撮影を、近年ではミシェル・ゴンドリー監督の作品に参加した松隈信一が照明を担当するなど、若手とベテランが重厚な演技・演出・映像美の三重奏で魅せてくれる。

 

この度HEATHAZEでは、そんな彼らに直撃インタビュー!あいにくサイボーグさんはスケジュールの関係で不参加となったものの、秋月さん、小宮さん、吉川監督、宮崎さんの四者が揃い踏みした。企画の成り立ちからそれぞれのキャラクター造形、撮影秘話、本作にかける思いまで、じっくり聞かせていただいた。「息もつかせぬ怒涛の展開」「頭をハンマーで殴られたような衝撃」「見た者の心に深い爪痕を残す」「泣きの一本」といった使うのもはばかられるような紋切り型の言葉も、この映画のためなら使える。それほど同時代のなかでも、群を抜いてエクストリームでエッジーな作品だと思う。容赦なく現代病理と深層心理をえぐってくるので、見終わったあとは胸がざわつき個人個人の想念にとらわれるかもしれないが、そうした気持ちにさせてくれる演者と製作者の熱情をぜひとも感じてほしい。いつの時代も一番恐ろしいのは都市伝説の異形でもおばけでもない。人間なのである。(取材・文/福アニー、写真/大蔵俊介)

 

 ※映画『ひ・き・こ 降臨』主演のサイボーグかおりによるコラムはこちら

 

 

「都市伝説のひきこではなく人間・ひきこを描くようにしました」(吉川)

――吉川監督と宮崎さんのタッグは昨年公開された『ひきこさんの惨劇』以来ですが、今回の『ひ・き・こ 降臨』はどのような作品にしようと思ったのでしょうか。

 

吉川久岳(以下、吉川):ひきこをモチーフにした映画は世の中にもう何本か出ているので、みんなが知っている彼女を焼き直して作るのも、単純に続編を作るのもおもしろくないねということで、なにか新しいものを作れないかというところから始まりました。宮崎くんとはとある映画の撮影現場で、彼は助監督、自分は制作として入って、そこからの付き合いですね。

 

宮崎大祐(以下、宮崎):3年と9ヶ月になりますかね。

 

秋月三佳(以下、秋月):細かい…。彼女みたい(笑)

 

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左から秋月三佳、小宮一葉

 

宮崎:通常シリーズものは「1」のあとには「2」と続いて行きますけど、単純に続編を作るよりも、さかのぼって「0」を作ってみたらどうかと思いまして。前作はドキュメンタリーっぽいタッチだったことも踏まえて、今回はがっちりとドラマをやりたいという意思は企画発足当初から吉川さんに伝えました。すぐに大枠はできまして、昨年起こった広島LINE殺人事件を入り口にして現代の諸問題に広がるようなものを思いつきまして、そこにどうひきこを絡ませるか考えました。

 

吉川:でも第1稿はひきこの「ひ」の字も出てこないような話で、ちょっと頭を悩ませましたね(笑)ネットを使った復讐の側面が色濃く出ていた脚本だったので、そっちに寄せていきつつ、都市伝説のひきこではなく人間・ひきこを描くようにしました。

 

――劇中でたびたび「理不尽」という言葉が出てきたのが印象的でした。それもテーマとしてありましたか?

 

宮崎:どうにも世の中は理不尽なことしかないのだなと常日頃から思っているからこそ、こういう脚本を書いたんだと思います。テレビをつけも、iモードを見ていても、街を歩いていても、これはどう考えてもおかしい、どうしてこんな不義が平然と許されるのか、どう考えても論理的に筋が通ってないのではないかと思う出来事ばかりなので。

 

小宮一葉(以下:小宮):ヒップホップですね。

 

宮崎:(笑)。そんななか、ラストシーンで紀里子が取る行動に象徴されるんですけど、「世の中には直視したくなくなるような理不尽なことがこれだけ溢れているのに、どうしてそれでも人は生きなければならないのか?」っていうことがテーマとしてありまして。そこにウィリアム・フリードキンの『エクソシスト』のように、ただのホラーではなく社会性やら時代感を吹き込みたかったんです。『エクソシスト』は教会の前で学生がデモを行っているカットから始まります。「本当に神はいるのか?悪魔のほうが強いんじゃないか?」という映画的主題と、「共産主義が正しいのか、民主主義が正しいのか」という問いかけを同時にやっているんです。

 

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 劇中シーン。左から紀里子役のサイボーグかおり、ニコ/ひきこ役の小宮一葉、ゆかり役の秋月三佳

 

――紀里子が「田舎生まれってだけで罰ゲームっしょ」と吐き捨てる場面に、理不尽さの一端が表れていますね。

 

宮崎:その一節は山内マリコさんの『ここは退屈迎えに来て』から引用させていただきました。地方都市から東京に出たはいいけど特段いいこともなくて、故郷に戻ったはいいが毎日がどうも繰り返しのようでつまらない、周りのみんなはどんどん結婚していっちゃうし、というような話なんですけど、郊外に生きる2010年以降の人間のリアルな感覚があって、すごくおもしろいんですよね。どこで生まれたかも含め、持って生まれたものって理不尽なことが多いので、それに抗って、あるいはそれを騙して、人はどうやって生きていくのかという。郊外といえば、劇中ですごく感心したのは、紀里子がみんなと別れて市営団地の実家に帰って行くところで、最後のカットに廃墟のような平屋が映っているシーン。あの感じですよね。東京五輪だクールジャパンだで沸き立ち、若者たちがいい年してハロウィンの仮装パーティーで盛り上がっている一方で、郊外には無味無臭な住宅群が続々と作られ、その傍らにああいう平屋が連なる、いずれの住人も週末はゾンビのようにイオンで顔を合わせるといったような。フラットとか格差社会とか一言で言うのは簡単ですけど、そういった、おもしろくはないが実在する現実を多面的に、具体的に提示するのも映画や芸術の重大な役目だと思うんですよね。

 

吉川:そういう意味でロケ地は、都会でもないけど田舎でもない地方都市で、東京からそんなに遠くなく、かつては工場があって人でにぎわっていたかもしれないけどいまはさびれて、というような「街感」から探していきました。撮影期間が5日間だったので、現実的な距離や時間も考えて千葉の君津に決めてからは、事件現場の空き地もゆかりの家もそこを中心に撮影していきました。なので彼女たちが住んでいる街の世界観は出せたかなあと。