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icon 2015.8.30

T.美川(非常階段、インキャパシタンツ)×小川晃一(おやすみホログラムプロデューサー)インタビュー――ノイズ、オルタナティヴ、アイドルを繋ぐ「エグフェス2」出演者に迫る

オルタナティヴ・ロックの意匠を身にまとった楽曲とフロアを巻き込んで毎回カオスな現場を作り出すパフォーマンスで、ライブアイドルファン以外からも注目を集めているおやすみホログラム(以下、おやホロ)。そんなふたりが非常階段、インキャパシタンツなどで30余年の間ノイズ界の第一線で活躍し続けるT.美川と、2015年9月5日(土)、下北沢Basement Barで開かれるライブイベント「エグフェス2」で初めて共演する。

 

そこで今回、美川とおやホロのプロデューサー・小川晃一のふたりに話を聞いてみた。インタビューは年齢差22歳(美川は1960年生まれ、小川は1982年生まれ)のふたりのリスニング体験を紐解いていくことからスタートした。(取材・文・写真/玉川カルトット)

 

※「エグフェス2」特集第一弾、DJ方(水内義人)×ぼく脳(NATURE DANGER GANG)LINE会議はこちら

 

 

「正直、僕の歌詞は吉野寿さんの影響をかなり受けてます」(小川)

――まずはおふたりのリスニング体験から教えていただけますか。

 

小川晃一(以下、小川):もともとヒップホップから入って、中学1年くらいからWu-Tang ClanやA Tribe Called Quest、Public Enemyばっかり聴いてました。ヒップホップにハマってたときはTHA BLUE HERBの韻の踏み方にNasに通じるものがあるなとか、いろいろ分析したりしてました(笑)実はおやホロの八月ちゃんとライムベリーのMC MIRIちゃんのユニット・8mmの楽曲にはだいぶこの辺りの影響が出てます。THA BLUE HERBで一番好きな作品ですか?ファースト・アルバム『STILLING, STILL DREAMING』です。

 

――それから?

 

小川:その後やっと中学3年くらいからロックを聴き始めたんですね。その初期衝動になったアーティストのひとつがeastern youthです。高校1年くらいにタワレコの店頭で『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』をたまたま見かけて、まず画家の佐伯祐三さんの自画像のジャケットがあまりにも衝撃で…その後、高校の3年間はハマりまくって、それこそ千葉LOOKにeastern youthが来る度に必ずライブを観に行ってましたね。日本語の綺麗な言葉で激しいロックをやってるっていうのが他にあんまりいなかったし、正直、僕の歌詞は吉野寿さんの影響をかなり受けてます。ワン・センテンスで凄く長いところとかですね。

 

――そうなんですね!

 

eastern youth「泥濘に住む男」のMV

 

小川:ロックだとスーパーカーをシングルの「プラネット」の頃に知って、「こんな簡単に演奏できるロックがあるんだ」っていう感じで、僕の中の脱ヒップホップを図った一番最初のアーティストです(笑)フェイバリットはファースト・アルバム『スリーアウトチェンジ』です。それから数年前に聴いた作品で、オーストリアのジャズのグループでMarcin Wasilewski Trioの『TRIO』もよかったな。björkの「Hyperballad」を完全に解体してて、それがもの凄く美しいんです。そうですね、2000年代のECMレーベルの作品は結構好きで、他にもよく聴きました。

 

――他にもあります?

 

小川:あと、Joni Michellの『Blue』も前から好きで、アレンジ面、特に歌のリズムとギターのリズムがそれぞれ独立してる感じにはかなり影響を受けてます。映画音楽家として有名なJon Brionのコード感――ちょっと日本人っぽいんですけど――にも影響を受けてて、サントラでいうと『Punch-Drunk Love』はほんと好きです。この人、Aimee MannとかKanye Westとかいろんな人のプロデュースをしてるんですけど、誰をやってもこの人の特異なアレンジになっちゃうのがまた凄いかっこいいんですよね。

 

――いや~、失礼な言い方かもしれませんが、さすが音楽詳しいですね。

 

小川:でも僕、日本の音楽ってあんまり聴かないんです。インディーに関しては結構聴いてはいたんですけど、日本のインディーってちっちゃくまとまっていて、自ずと売り場もまとまってるんで、そこを聴いて広げてっていうよりも、例えば海外のものを聴いていったほうが他の人と趣味も被らないから、インプットとしてはそっちのほうがおもしろいかなって思いますね。

 

――それでは美川さん。お願いします。

 

T.美川(以下、美川):僕は小さい時から普通の歌謡曲しか聴いてこなくて、クラシックもなんにも知らないんですけど、中学校に入って最初の正月に友達から「ELPの『展覧会の絵』はいいぞ」って書いた年賀状が来たんですよ。こちらはELPがまずなにかわからないし、『展覧会の絵』がなにかもわからないから、最初は美術かなにかの話かと思ったんですよ。そして冬休みが終わってその友達に聞いたら、ELPっていうロックバンドがムソルグスキーの「展覧会の絵」をロックアレンジしたのが凄くいいから聴いてみろって言われて、お年玉で買って聴いてみたら凄くハマっちゃったんですよ。普通プログレって技巧的なところに惹かれるもんじゃないですか。でも僕がハマったのは、演奏がうまいかどうかじゃなくて、Keith Emersonのシンセサイザーの「音」が凄くおもしろいなって思ったんですね。

 

――ほお~。

 

美川:それからまあ、プログレ少年になるんですけど、Pink FloydやKing Crimsonにはなかなかいかないで、すぐジャーマン・プログレにいっちゃうわけなんです。NEU!とかFaustとかAsh Ra Tempelとか…当時はまだその辺のレコードが廃盤になってなくて、輸入盤店で探せば買えたんですよ。その後、パンクに刺激された僕の周りの人間がバンドを始めたりするんですね。町田(町蔵)くんがやっていたINUの初代ギタリストだった中学の同級生の林直人くん――亡くなって今年13回忌だったんですけど――が当時ライブイベントのオーガナイザーみたいなことをやっていたんですけど、彼が大阪の難波にあったギャルソンっていう喫茶店でやったライブにULTRA BIDEってのが出てて、そこに(JOJO)広重さんがいたんです。僕は高3の冬だったんでそのイベントは行けなかったんですけど(笑)そこからの付き合いですね。ええ、当時広重さんは同志社に通う大学生でした。

 

――だんだん繋がってきてワクワクしますね。

 

美川:その後京都の大学に通うようになるんですけど、当時京都にはどらっぐすとぅあっていう、まあ「伝説の」と言われるようなフリースペースがあったんです。そこは原価で飲み物とかを提供するんだけど、ただヘンな音楽をたくさん聴きながらゴロゴロしてていいような場所で、たまに嫌な客が来るとLou Reedの『Metal Machine Music』とかThrobbing Gristle(以下、TG)とかかけて追い出すっていう(笑)

 

――(笑)

 

Lou Reed『Metal Machine Music』の音源

 

美川:僕は大学に行くようになってそこのボランティア・スタッフになったんですけど、そこでは日本の実験的なアーティストのデモ・テープをいっぱい扱っていて、高校時代から宅録みたいなことに興味があった僕は、自分でも宅録みたいなことができるだろうと…いま思えば超勘違いなんですけどね(笑)ま、楽器弾けない者のよくあるパターンで、Derek Bailey聴いて「これなら俺にもできるだろう」みたいな気になってやったり。林くんと組んでたアンノンっていうユニットでも、自作の楽器でTGみたいなことやってました。