icon 2013.4.6

木村文洋×山戸結希対談◆4/20「愛のゆくえ(仮)×あの娘が海辺で踊ってる(完全版)」上映の前に

――『あの娘が海辺で踊ってる』が、これだけ脚光を浴びたのは、どういった要因があったのでしょう?

 

山戸:そうですね、それこそ要因と言って連想することとして、木村監督は上映前に、本当に素晴らしい映画評を書いて下さいました。「昔の真利子監督の作品や、富田監督の映画を見たときを思い出しました」というメールは、私にとって重大な後押しでした。そして、あの木村監督の映画評を読んで観に来てくださったお客さんも絶対に多くて。木村監督をはじめとする、無名の作品に寄せて頂いたコメントや、それに加わっていく連日のお客さん一人一人の言葉を通して、批評の効力を感じることはとても大きな体験でした。現実を言い表すために言葉が遣われたというよりも、あらたな現実を作り出すための“言葉”が放たれた、という感覚で。今、インディーズ映画とtwitterは密接に関連した状況の中、それらの“言葉”が現実を動かしたんだな、というのは凄く思いますね。お客さんがお客さんを呼んでくれているというのが、毎日実感されました。言葉に詰まった熱量に、こちらが圧倒されるくらいでした。単純に言えば口コミってことなんですけど。

 

――やはり、劇場には監督と同世代の方が足を運ばれているんでしょうか?

 

山戸:ポレポレ東中野での上映は、学生の方が多かったですね。「刺激を受けました!」と言ってくれて帰っていく方が沢山いました。オーディトリウムは、もともとシネフィルの方たちがお客さんとして付いているから、年齢層は少し上がりました。ただ、どちらの上映もなんと言うか、“この層”とは限定しにくく、客席がカオスで、本当に色んな年齢層のお客さんが来てくださいました。でも、そんな…若い人だなんて、木村監督だってまだまだお若いです。

 

木村:33歳ですよ(笑)。中年です。

 

山戸:まだ、映画青年ぐらいです…!

 

木村:79年周囲の世代は、今いちばんキツい時期なんじゃないかと(笑)。あんまり暗い話はしたくないんですけど……。同世代の映画関係者たちはどう続けていけるのかは、当然考えていると思います。映画・映像を仕事にしている人でも、インディペンデントでやっている人でも、例えばあと十年でも―どう続けるのか、という…。

――山戸監督は、主題に関して、先行世代の方々との距離感は意識してらっしゃるんですか?あるいは、主人公の舞子の、地方でAKBという偶像に憧憬しながら、それをどこかシニカルに相対化している感性は、山戸監督の世代に共通の感覚なのでしょうか?

 

山戸:たしかにモチーフはAKBで、同時代的なんですけど、話の筋道はより普遍的な風景だと思うんです。世代的な感覚が反映されているというよりは、もっと個的な体験の問題なのでは、と思います。ただその一方で、女性性に対する自意識みたいなのが作品内で明言されているというのは確かに、性的な価値観が前景化したり、性の商品化が浸透した昨今だからなのかもしれないですね。でも、先行世代と相対的にこの主題を選ぼうっていうよりも、これを撮ろうと自然に決まってすぐ撮っちゃったので。事後的に宣伝の段階では、「じゃあ、この映画を他作品と差別化するなら“処女性”みたいなことかな」と相対化を計りましたが、製作の段階で世代的な主題というのはあんまり意識しないです。どっちみちその時生きている地点からしか撮れないし、個的なものしか物語れないと思うので。

 

――『あの娘が海辺で踊ってる』が、世代的な懸隔を越えて、胸に迫るものがあったのはどういった点なのでしょうか?

 

木村:僕は、映画を作るにあたって“現在性”っていうのを大事にしたいほうなんです。いま自分の生きている場所がどういう時期にあって―どういう物語があるのか、という。それをその時々で映画に記憶していきたい、というか…。『愛のゆくえ(仮)』は白黒ですが、あの部屋の中にいるっていうのは……やっぱり震災以後一年ぐらいの閉塞した感じを、いま記録せねば、と思って作ったし、山戸さんのAKBをずっと地方で見ている女子高生っていうのも、やっぱり僕は山戸さんたちの物語なんだと思ったんですよ。年齢は10歳違うんですけど、そういった対比みたいなものがカップリング上映で見えればなあ、と思っています。だから僕は個人的に山戸さんには、同世代のそうした映画をつくっている人、上では富田克也さん達とも上映されていって欲しいと思うし、もうちょっと上の世代の方々とも上映されていって欲しいな、と。

 

山戸:そんなこと言ってくれるのは、木村監督だけです(笑)。

 

――――『あの娘が海辺で踊ってる』の“現在性”とは、どういった点にあるのでしょうか?

 

木村:うーん…例えば僕達は2000年ぐらいに京都国際学生映画祭の学生審査員をやっていて日本じゅうや海外の学生自主映画を集めて見ていたんですけど、議論の中心にあったのが「いかにいま自分の物語と格闘しているか」ということでした。毎年300本ぐらい見るんですけど、大体がいわゆる映画らしいものを作ることに腐心しているように感じる作品でした。それって完成度が凄く高かったりとするんですけど、お話がよく観たものであるとか…下敷きにしているものが見える。商業映画を撮るための、ある種の履歴書にはなるかもしれないですけど、それはやはり探しているものじゃないし、特に観たいものでもない。プロの映画監督が撮っている映画と、同じ土俵で上映してみても…その一年で、違う何かを発見できる映画じゃないと、と。―それは、別に自分の身のまわりで何かを撮るということでもいいと思うんです。ただ「こういったことが紛れもなく、いまある」とか「映画で問うていた問題の出口を―つくり手もつくる中で発見している」であったりとか。そういうものって一年に10本あるかないか……。上手く言葉に言えませんが、やっぱり難しいし不思議なことだと思うんです。「現在」と「映画」とが邂逅する瞬間、て。いまだによく分からないときがある。 『あの娘が海辺で踊ってる』―は、ファミレス、女子高生の対話、処女性への自意識…とか―すべてが今までなかなか観れなかった描き方に見えました。台詞ひとつや役者の表情ひとつ取っても、山戸さんやスタッフの方が考え抜かれた―血肉が通っているものに見えました。「ひりひり」ていう言葉も映画評にありましたよね。観ていて、皮膚感覚にまで浮上した、ということじゃないかな―1歩間違えば、使い古された映画の記号に過ぎないものかもしれないのに…。それがまあ…今のなにかを観た、ということだと思います。山戸さんの映画を観たとき、自分も映画を観てきた者としていろいろ思い出したんですよね。